寒暖が織りなしてやってきています。気の所為か、当地の降雪量は寒暖の如何に関わっているようです。寒気が強ければ雪量は少なく、パウダースノーの傾向があります。反面、暖気であれば、雪量は多く、重いドカ雪になるようです。昨朝はタイヤショベルを駆りましたが、今朝は朝寝を満喫します。

コンサートプログラム用に、「荒城の月」の曲目紹介の原稿づくりをしているところです。これまでは主に土井晩翠の歌詞に触れてきました。今日は、滝廉太郎の「曲」に関わる思い出をまとめてみようとします。そのテーマの一つは、半世紀以上も残念に思え続けてきた「1音」です。

残念なことに、滝は23歳で夭折(ようせつ)します。その後、滝の譜面に山田耕筰(こうさく)が手を加えたとされています。

滝の楽譜は、♯が2つのロ短調(Bm)でした。その『ハ ナ ノ 「エ」 ン』の「エ」は「Eの♯」です。山田は、その「♯」を削除したようなのです。その結果、廉太郎の曲とは全く異なるものになってしまいました。

当時の山田耕筰は、音楽界では相当な立場であったようです。それも手伝ってか、以後、「荒城の月」は、山田耕筰バージョンで普及されます。山田も多くの素晴らしい曲をつくりました。しかし、滝とは音楽性の次元が違っていました。山田が手をかけたことで、むしろ、駄作になったようなのです。だとすれば、極めて勿体ないことです。

残念?ながら、筆者の小学校時分の音楽の教科書も山田耕筰バージョンでした。しかし、担当された音楽の先生は、『本来は、「え」に♯がついていました。』と、その違いを教えてくれました。

あの65年前の一瞬は今も宝物として残っています。そして素晴らしい先生に恵まれたことに感謝し続けています。同時に、幼児期の音楽教育が如何に大切なものであるかをも今もって噛みしめているところです。無論、自身が時折唄うのは、廉太郎バージョンです。

「荒城の月」のメロディーは、現在、ベルギー・シュヴトーニュ修道院の聖歌に取り入れられている、と聞いたことがあります。余談ですが、ベルギーは、イギリスのアガサクリスティーの産んだ「名探偵ポアロ」の母国として知られています。

また、ユーラシア大陸最西方のフランス、オランダ、ルクセンブルク、ドイツに囲まれた国です。更に、ほんの30km余り幅のドーバー海峡を挟んでイギリスにも対峙しています。いわば、ヨーロッパの中心地域とも言えそうです。必然的に、多くの戦禍を経た国であるとともに、多くの文化文明を吸収した国でもあります。

そのベルギーの皆さんが、ユーラシア大陸最東端の、「栄枯盛衰」をテーマとする「荒城の月」を聖歌として歌っていることに、深い感慨を覚えざるを得ないものがあります。「滝廉太郎、土井晩翠good job」です。しかし、残念な?ことに、その曲もまた山田耕筰バージョンのようです。

2023/02/23(木) 09:07
今日の最高気温も氷点下です。しかし、積雪は然程ではなく、ほんの5cmほどです。昨晩の時点で、今朝の除雪を予定していましたが拍子抜けです。例年であれば、一晩で40cmほども降ることが数度あります。今年は、自宅近辺以外のエリアに降っているようです。申し訳ない気にもさせられます。

籠(こも)る中、『春高楼の花の宴・・・』に思いを馳せています。先日、友人にそのことを提案すると『是非やろう。』になりました。奥州最北端の開花予定は4月17日だそうです。駐車場に敷物を敷き、鍋なんぞを囲もうか、と思っているところです。

その「荒城の月」を簡単にまとめようとしています。いつの間にか、今日はその(6)になってしまいました。

「荒城の月」の舞台には諸説あります。
① 石動山城(せきどうさんじょう、いするぎやまじょう) (石川県・富山県にまたがる)。「謙信陣中作」の舞台。
② 鶴ヶ城(福島県会津若松市のシンボル)。土井晩翠が感動した美しくも悲しい荒城。
③ 岡城(九州大分)。作曲者滝廉太郎の出身地。
④ 富山城(富山県)。滝廉太郎が通った小学校の跡地。
⑤ 青葉城(宮城県)。土井晩翠の出身地。「仙台」の旧名が「千代」のことから、「千代(ちよ)の松ヶ枝」の「千代(ちよ)」と「仙台」」の「ちよ」との掛詞(かけことば)。伊達政宗の兜(上弦の月)。
⑥ 九戸城(岩手県)。土井晩翠が立ち寄ったとされる城址。

それぞれにはそれぞれの根拠めいた言い分?があるようです。しかし、「荒城の月」です。テーマは「うらぶれ、荒廃した城址(じょうし)です。手入れの行き届いた観光地では違和感がありそうです。

これらの中、大分の岡城址と仙台の青葉城址にはしばしば行きました。尤も、歌詞中の「夜半(よわ)の月」の時間帯でない日中に、です。本来の歌詞が表現されていない時間帯でした。

「岡城址」の「本丸跡」(天守閣石垣跡?)と思われる広場の一角に茶店がありました。その茶店の反対側に「荒城の月」の歌碑と音楽装置があり、そこに近づくと自動的に「春高楼の・・・」が流れたことを覚えています。

余談ですが、これと似た仕掛けは全国にあるようです。奥州最北端三厩(みんまや)にも「津軽海峡冬景色の歌碑」があり、近くのボタンを押すと「ごらんあれが・・・」と流れる仕組みだったようです。その是非は兎も角、全国一律の街づくりを目指す行政の在り方を見せつけられる思いをさせられます。

前後しますが、「荒城の月」の舞台が何処であろうとも、「歌詞」のイメージを瑕(きず)つけるものではなく、その地を訪れる人が「この世は常(つね)の無いものである」ことに触れることに詩と曲の意味がある。と考えられそうです。そのことから、単に、人が訪れ来さえすれば、その地が何処であろうが「正解」と言えそうです。

またまた余談ですが、この原稿を書いているとき、偶然にも「月かげ」についての解説がありました。テレビの「BS103チャンネル(美の壺)」で、だったようです。

その中に伊達政宗の兜(かぶと)の「上弦の月」のいわくの説明がありました。政宗は、『武運をはじめとするこの世のことは、月のように満ち欠けるものだ。仮に敗れてもまた満月として復活する。』の考えで「月」を兜の「前立(まえだて)」にした。というものでした。
2023/02/21(火) 10:32
8℃という今冬最高気温に浮かれた直後の今日は、一転して最高気温氷点、そして暴風雪です。そして老骨でもあります。このような日はひっそりと籠(こも)るに如(し)くはなさそうです。

「荒城の月」を訳そうとしています。今日はいよいよ四番の『天上影は変わらねど 栄枯(えいこ)は移る世の姿 映(うつ)さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月』です。この四番こそが土井晩翠の言いたかったことだ、とする考え方もあるようです。

晩翠はここにも「かげ」を使っています。この「かげ(影)」をこれまで通り「ひかり(光)」と訳すと、「空の上の月の光に変化はないが」となりそうです。続く「栄枯は移る世の姿」は、「地上においては、栄えたり滅んだりするのは一般的な摂理である」となりそうです。

しかし、この解釈には他説があります。「天上影」の「影」を「over(離れた真上・上方・彼方・奥)」とする考え方です。その意味では「天上影は変わらねど」は「眼に見えない不変天然の力」と訳すことができそうです。そうなると、もはや「大宇宙の公理」の世界のようです。

それをベースにすると、「天上影は変わらねど」は「人為の加わらない天然の営みは今も昔も変わらないが」であり、対語の「栄枯は移る世の姿」は、「(それと同様に)栄枯盛衰は人の世の習いである」となり、鴨長明の「方丈記」の「無常」の世界を表しているようです。

前後しますが、「影」に「ひかり」と「彼方(かなた)」の意味があるのは、或いは、この詩のつくられた時代背景にも関係があるのかも知れません。「荒城の月」が発表されたのは与謝野晶子が「みだれ髪」を発表した同年の1901年です。その頃は古語(本来の日本語)と現代語の同居している頃だったのかもしれません。然(さ)もありなん、というところでしょうか。

「うつ(映)さんとてか今もなお(尚)ああ荒城のよわ(夜半)の月」は、「変わることなく月が輝き続けるのは、地上の人の世の移ろいを見せようとしているからだ。」という訳になりそうです。

2023/02/20(月) 10:15
昨日は8℃でした。今冬の最高気温です。陽光に満ちていたことも手伝っていたようです。しかし、来週にはまた寒波がやってくるそうです。春に至るために経なければならない「陣痛」であり「関門」であり、そして「洗礼」なのかも知れません。


「荒城の月」を訳そうとしています。これはコンサートプログラムの「エピソード欄」に載せる原稿でもあります。「荒城の月」は誰もが歌える?歌です。しかし120年以上前につくられた歌です。更に、作詞が土井晩翠です。本来の日本語を使っている他に文学的すぎるものがあります。その意味を理解するには結構な気合が伴います。

「荒城の月」の歌詞は4番まであります。今日はその三番の(迷)訳です。歌詞は『今荒城の夜半(よわ)の月 変わらぬ光 誰(た)がためぞ 垣に残るはただ葛(かずら) 松に歌う(うとう)は ただ嵐』です。フレーズごとの訳は次のようになりそうです。

「今荒城の 夜半(よわ)の月 変わらぬ光 誰(た)がためぞ」は文字通り、「荒れた城にも月の光は昔と同じように射(さ)している。月は誰のために照らしているのだろうか。」となりそうです。」

「垣に残るは ただ葛(かずら)」の「垣」は「石垣」あるいは「垣根」のことのようです。そして「松」は「いつも緑」であることから「繁栄の象徴」として使われているようです。これらから、全体は次のように訳すことができそうです。

「意気盛んだった頃と違い、今の城は閑散としている。本丸の石垣(垣根?)は手入れがされていなくツタ(蔦)が絡んでいる。そして松を縫う風が蕭々(しょうしょう)と鳴いているだけである。しかし、月の光は荒廃した城にも昔と同じように照らしている。月は誰のために輝いているのだろうか。??」となりそうです。

エピソード原稿のテーマの一つは「かげ(影)」の使い方です。「かげ」を「ひかり(光)」とする場合、「暗がり・暮色・くま」とする場合、或いは「over(向こう側)」等として使う場合等があるようです。また、発音も「かげ」と「ひかり」を使い分けているようです。これは「七五調」の「詩」の事情によるようです。

余談ながら、「追憶」(スペイン民謡、訳詞古関吉雄)『ほしかげ(星影)やさしくまたたくみ空に・・・』の「星影」の「影」も「光」として使われているようです。同様に、「星影のワルツ」の「かげ」も「ひかり」の意味のようです。他に、近衛十四郎の「月影兵庫」の「つきかげ」や日本刀の刃紋(文)「月影(つきかげ)」等にも本来の「古語」としての意味が用いられているようです。
2023/02/19(日) 10:16
昼、除雪の要請を受けてタイヤショベルを駆ります。料亭の駐車場です。ここ1週間ほどの積雪量は少ないものの、硬く締まった雪です。そして、部分的にバリバリと凍っていました。友人のT氏もかけつけてくれました。

籠る中、今日も「荒城の月」を翻訳しようとしています。勿論、歌詞は土井晩翠による日本語です。そして誰もが歌える歌です。しかし、その意味となると難解なものがありました。誰も教えてくれなかった世界だったのです。

今日は、二番について考えてみました。「秋陣営の霜の色 鳴き行く雁の数見せて 植うるつるぎに照りそひしむかしの光 今いづこ」です。

この中では、特に、「・・・雁の数みせて」と「植うるつるぎに・・・」が曖昧でした。この機会に、無理やり、訳そうとしてみました。

季節は秋、場景は戦国時代の「出陣前夜」の決起集会のようです。
『霜の色 鳴き行く雁の数見せて』は、「霜に反射した月の光は、啼きながら空を渡る雁の姿までもクローズアップするほど皎々(こうこう)としていた」となりそうです。

次の『植うるつるぎに照りそひし』は、「(気勢を挙げている兵士がかざした)つるぎ(剣や槍の穂先、鉄砲の銃身等)に月光があたっている。或いは「武具立て」に整然と建てかけた剣や槍が月光に照らされている様子、とも考えられます。

そして、「昔の光いまいづこ」は、一番同様、「あれほど力強かった月の光は、今は何処(どこ)へ行ってしまったのか」。となりそうです。

恥を忍んでの「迷訳」に、気の重い日が続いているところです。

2023/02/16(木) 15:11
ここ数日の降雪は無いものの、やはり「如月(きさらぎ・着更着)」です。寒さは一入(ひとしお)です。日中緩んだ残雪は、朝にはバリバリと凍っています。

ひっそりと籠(こも)るだけの越冬の中、楽しみは楽器演奏と文作です。文作は、演奏会のプログラム原稿づくりです。尤も、殆(ほとん)ど開催の見通しの無いコンサートです。いわば「机上の空論」のようなものです。

先般から「荒城の月」に手をかけています。今日はその続きです。一番の『春高楼のはなの宴めぐるさかづきかげさして千代の松ヶ枝わけいでし昔のひかりいまいづこ』をフレーズごとに分解しようとしています。

「花の宴」です。「時」は「桜の咲いている頃」のようです。
「高楼」は、「高殿(たかどの)」・「二階」・「見晴らしのよい場所」等。
「花の宴」は、「観桜の宴」・「花見の宴席」です。翻って、「普段会う機会の少ない友人知人等が集った、観桜を名目とした飲み会」のようでもありそうです。
「めぐる(巡る)さかづき」は、「濃茶(こいちゃ)」のお点前(てまえ)」のように「酒の入った杯をまわし飲みしている様子」のようです。今は見ることの少なくなった文化のひとつです。

しかし、難解だったのは次に続く「かげさして」でした。「かげ」は「光」と訳すようです。
これから「さかづきかげさして」は「次々にまわす酒杯に光があたっている」となりそうです。
次に続く「千代の松ヶ枝」はその「光」についての説明です。
「千代の松ヶ枝」は、「古木(年代を経た木・太い木・巨木)の松の枝」は「密集している松の古木の枝葉」となりそうです。

「わけいでし」は「その密集している松の枝葉を縫って」。
「昔の光いまいづこ」は「昔、あれほど力強かった月の光は、今は何処(どこ)へ行ってしまったのか」。となりそうです。

二番の「秋陣営の・・・」の意味も一番の「春高楼の・・・」と同様のようです。

2023/02/14(火) 11:06