8℃という今冬最高気温に浮かれた直後の今日は、一転して最高気温氷点、そして暴風雪です。そして老骨でもあります。このような日はひっそりと籠(こも)るに如(し)くはなさそうです。

「荒城の月」を訳そうとしています。今日はいよいよ四番の『天上影は変わらねど 栄枯(えいこ)は移る世の姿 映(うつ)さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月』です。この四番こそが土井晩翠の言いたかったことだ、とする考え方もあるようです。

晩翠はここにも「かげ」を使っています。この「かげ(影)」をこれまで通り「ひかり(光)」と訳すと、「空の上の月の光に変化はないが」となりそうです。続く「栄枯は移る世の姿」は、「地上においては、栄えたり滅んだりするのは一般的な摂理である」となりそうです。

しかし、この解釈には他説があります。「天上影」の「影」を「over(離れた真上・上方・彼方・奥)」とする考え方です。その意味では「天上影は変わらねど」は「眼に見えない不変天然の力」と訳すことができそうです。そうなると、もはや「大宇宙の公理」の世界のようです。

それをベースにすると、「天上影は変わらねど」は「人為の加わらない天然の営みは今も昔も変わらないが」であり、対語の「栄枯は移る世の姿」は、「(それと同様に)栄枯盛衰は人の世の習いである」となり、鴨長明の「方丈記」の「無常」の世界を表しているようです。

前後しますが、「影」に「ひかり」と「彼方(かなた)」の意味があるのは、或いは、この詩のつくられた時代背景にも関係があるのかも知れません。「荒城の月」が発表されたのは与謝野晶子が「みだれ髪」を発表した同年の1901年です。その頃は古語(本来の日本語)と現代語の同居している頃だったのかもしれません。然(さ)もありなん、というところでしょうか。

「うつ(映)さんとてか今もなお(尚)ああ荒城のよわ(夜半)の月」は、「変わることなく月が輝き続けるのは、地上の人の世の移ろいを見せようとしているからだ。」という訳になりそうです。

2023/02/20(月) 10:15