ここ数日の最高気温は6℃ほどです。一週間前には1mほどもあった庭の雪は部分的ながらも皆無となっています。そして、その跡には様々な緑が芽吹いています。しかし、雪は、積もることの無いものの、毎日のようにチラついています。他方、一冬かけて積もった天文学的量の雪は、時折の陽光に、日に日にガクンガクンと音を立てるように消えています。

春とはいうものの吹く風はキリキリと冷たく、本物?の春はまだまだ「お預け」のようです。丁度、「藤村(島崎藤村)」が詠った『緑なす繁縷(はこべ)は萌えず・・・しろがねの衾(ふすま)の岡辺日に溶けて淡雪・・・』の季節なのでしょう。

冬が厳しければきびしいほど、春を待つ思いは一入(ひとしお)です。雪の消えた跡には「蕗の薹(ふきのとう)」の丸い芽が出ています。春の象徴です。しかし、実際には、春の準備のために秋に既に出ているものです。そのメカニズムは兎も角、即、春の証(あかし)の「バッケ味噌」を楽しみます。

そして、春の兆(きざ)しに誘惑され、つい、昨日、「苗木(なえぎ)」を入手しました。「ふじ (りんご)」、「豊水(なし)」、「たかさご(さくらんぼ)」、「さとうにしき(さくらんぼ)」、「あんず」、「ぶんご(うめ)」です。計6本です。因みに、「さくらんぼ」は1本だけでは受粉できず、近くに他種を植えることが基本のようです。

いずれも「駐車場用」です。「鉢植え」の予定です。このプログラムは以前から計画していたものです。大型鉢は数年前に入手済です。しかし、いまのところ、「マルメロ」と「キンカン」は未入手です。

20230305-163902.jpg20230305-163919.jpg
2023/03/05(日) 16:37
早くも今日は「桃の節句(せっく)」3月3日です。新暦による春の定義は3月~5月です。やはり、心なしか空気の色彩や感触、時折見せる日差しの明るさは春を告げているようにも思われます。

とはいうものの、奥州最北端の今日は、「桃の花」には似つかわしくなさそうな雪と寒さです。本来、「桃の節句」は旧暦の3月3日のようです。新暦では4月22日のようです。そのため、我が家では「雛飾り」を「新暦」でやることにしています。

当地の今年の「桜の開花予定」の見通しは4月17日です。4月22日ともなれば満開の頃のようです。「梅」ならぬ「桜」ながらも、「ひな祭り」としては適期のようです。あと6~7週間ほどです。正座をしながら、そして楽しみにしながらその日を待つことになります。

しかし、「散らし寿司」だけは、毎年新暦の3月3日に頂くことにしています。今年も「蛤(はまぐり)」の「澄まし汁」とともにいただきました。


ここしばらく、原稿づくりが続いていました。一段落したところで今日からは「カホン(cajon)」づくりの続きです。「原稿づくり」とはいうものの、実際は、「漆(うるし)」の「乾き」に時間を要していたのです。実は、「漆の乾燥条件」は「高温多湿」です。ところが、この厳寒中です。やはり、一ヶ月経ても殆ど変化なし、だったのです。
2023/03/03(金) 15:36
雪はチラついていますが儚(はかな)い雪です。昔、横尾忠則?が「盾の番長」を悼んで歌った「・・防衛(まも)らず何の文化ぞや・・・(国を守ることをしないで文化を論ずることは意味が無い?)、(国が滅べば文化も滅ぶ?)」の「春の雪」のようです。

先日のテレビに、阿寒湖近くの陸別(りくべつ)町の紹介がありました。マイナス36℃にもなる「日本一寒い町」だそうです。そのレポートの中に「雪は暖かいときに降る。寒い日の朝の除雪は無い。」がありました。

さて、当地の今季は、雪は少なかったものの寒さは例年よりも厳しいものでした。その所為(せい)か、タイヤショベルの出動回数は、例年よりも少ないものでした。


曲目の「エピソード欄」の原稿をまとめているところです。コンサートのプログラム用です。このところ「荒城の月」に触れています。いつの何か、その(8)になっています。今日のテーマは「調」と「TPO(Time、Place、Occasion)」です。

「荒城の月」は何度も歌いました。特にA大学教授とは何度もデュエットしました。しかし、その当時は「意味の解らないまま」歌っていました。しかし、歌うときはいつもその場の空気に気を遣ってはいたようです。

昔、結婚式で「浪曲子守唄」を歌った人がいました。当時、誰もが知っている大ヒット中の歌です。やはり、多くの人の反応は「えッ」で、顰蹙(ひんしゅく)を買います。しかし、歌ったのが新郎の兄さんでした。その関係を知る皆さんは、「♪逃げた女房・・・」で大爆笑でした。

歌には、それぞれ、歌うに相応(ふさわ)しい「TPO」がありそうです。例えば「佐渡おけさ(末はカラスの鳴き別れ )」、「ダニーボーイ(私は墓の下で待っています)」、「讃美歌320番(主よともにいまして行く道を守り)」、「高校三年生(離れ離れになろうとも)」、「空港(一人遠い街に行く)」、「酒場にて(ドアを開けてみたって)」等は「惜別の歌」、のようです。

そして「荒城の月(むかしの光いまいずこ)」、「古城(昔を偲(しの)ぶ追手門(おうてもん)」、「チャンチキおけさ(大きな夢を杯に)」、「別れの一本杉(泣けた泣けたこらえきれずに)」、「テネシーワルツ( I knew just how much I had lost)」等は且ての栄華を懐かしむ「回顧の歌」のようです。

いずれも晴れがましい場では歌いにくい歌です。しかし、「TPO」にかかわらず、この種の歌は当時、毎晩のように放送されていました。或いは、人は悲しみや虚(むな)しさ等に惹かれる傾向があるからなのでしょうか。また、人は、悲しみに浸ることで明日への鋭気(エネルギー)を増幅させる動物であるからなのでしょうか。

この種の曲調はAm Dm E7 等のマイナーコードだけの終始が多いようです。しかし、中には、「マイナー」と「メジャー」を効果的に配置することもあるようです。シューベルトの「魔王」もそのようです。

ドイツやデンマークには、魔王は死の前兆として登場し、死に瀕した人物の前に現れる、という伝承があります。それをもとにゲーテがつくった「詩」が「魔王」です。そしてその詩に曲をつけたのがシューベルトです。

シューベルトは、「魔王の誘惑・・・(かわいい坊や、おいで、楽しいところに一緒に行こうよ・・・)」、「父親の勇気づけ(・・・我が子よ、何をそんなに怖がるのか・・・)」、そして「死を前にした子供の不安(・・・お父さん、あの魔王が見えないの・・・)」のセリフ(台詞)それぞれに「メジャー(長調)」、「マイナー(短調)」を使い分けています。

一般的に、「メジャーコード」は「happiness」、「マイナーコード」は「sadness」の表現に用いるようです。しかし、「マイナーコード」の中に、ほんの一瞬だけ「メジャーコード」を埋める手法もあるようです。その一瞬の「メジャーコード」が、「マイナーコード」より、より深い「虚無感」や「悲しみ」を表現できるからのようです。


ほんの曲目解説用の原稿づくりが、いつの間にか結構な量になってしまいました。このままこれを原稿とするには無理のようです。折を見て、極度のスリム化を試みることになりそうです。尤も、殆どは根拠の薄い私的な、そして極めての駄文です。如何なる削除であっても未練の無いところです。
2023/02/26(日) 14:47
寒暖が織りなしてやってきています。気の所為か、当地の降雪量は寒暖の如何に関わっているようです。寒気が強ければ雪量は少なく、パウダースノーの傾向があります。反面、暖気であれば、雪量は多く、重いドカ雪になるようです。昨朝はタイヤショベルを駆りましたが、今朝は朝寝を満喫します。

コンサートプログラム用に、「荒城の月」の曲目紹介の原稿づくりをしているところです。これまでは主に土井晩翠の歌詞に触れてきました。今日は、滝廉太郎の「曲」に関わる思い出をまとめてみようとします。そのテーマの一つは、半世紀以上も残念に思え続けてきた「1音」です。

残念なことに、滝は23歳で夭折(ようせつ)します。その後、滝の譜面に山田耕筰(こうさく)が手を加えたとされています。

滝の楽譜は、♯が2つのロ短調(Bm)でした。その『ハ ナ ノ 「エ」 ン』の「エ」は「Eの♯」です。山田は、その「♯」を削除したようなのです。その結果、廉太郎の曲とは全く異なるものになってしまいました。

当時の山田耕筰は、音楽界では相当な立場であったようです。それも手伝ってか、以後、「荒城の月」は、山田耕筰バージョンで普及されます。山田も多くの素晴らしい曲をつくりました。しかし、滝とは音楽性の次元が違っていました。山田が手をかけたことで、むしろ、駄作になったようなのです。だとすれば、極めて勿体ないことです。

残念?ながら、筆者の小学校時分の音楽の教科書も山田耕筰バージョンでした。しかし、担当された音楽の先生は、『本来は、「え」に♯がついていました。』と、その違いを教えてくれました。

あの65年前の一瞬は今も宝物として残っています。そして素晴らしい先生に恵まれたことに感謝し続けています。同時に、幼児期の音楽教育が如何に大切なものであるかをも今もって噛みしめているところです。無論、自身が時折唄うのは、廉太郎バージョンです。

「荒城の月」のメロディーは、現在、ベルギー・シュヴトーニュ修道院の聖歌に取り入れられている、と聞いたことがあります。余談ですが、ベルギーは、イギリスのアガサクリスティーの産んだ「名探偵ポアロ」の母国として知られています。

また、ユーラシア大陸最西方のフランス、オランダ、ルクセンブルク、ドイツに囲まれた国です。更に、ほんの30km余り幅のドーバー海峡を挟んでイギリスにも対峙しています。いわば、ヨーロッパの中心地域とも言えそうです。必然的に、多くの戦禍を経た国であるとともに、多くの文化文明を吸収した国でもあります。

そのベルギーの皆さんが、ユーラシア大陸最東端の、「栄枯盛衰」をテーマとする「荒城の月」を聖歌として歌っていることに、深い感慨を覚えざるを得ないものがあります。「滝廉太郎、土井晩翠good job」です。しかし、残念な?ことに、その曲もまた山田耕筰バージョンのようです。

2023/02/23(木) 09:07
今日の最高気温も氷点下です。しかし、積雪は然程ではなく、ほんの5cmほどです。昨晩の時点で、今朝の除雪を予定していましたが拍子抜けです。例年であれば、一晩で40cmほども降ることが数度あります。今年は、自宅近辺以外のエリアに降っているようです。申し訳ない気にもさせられます。

籠(こも)る中、『春高楼の花の宴・・・』に思いを馳せています。先日、友人にそのことを提案すると『是非やろう。』になりました。奥州最北端の開花予定は4月17日だそうです。駐車場に敷物を敷き、鍋なんぞを囲もうか、と思っているところです。

その「荒城の月」を簡単にまとめようとしています。いつの間にか、今日はその(6)になってしまいました。

「荒城の月」の舞台には諸説あります。
① 石動山城(せきどうさんじょう、いするぎやまじょう) (石川県・富山県にまたがる)。「謙信陣中作」の舞台。
② 鶴ヶ城(福島県会津若松市のシンボル)。土井晩翠が感動した美しくも悲しい荒城。
③ 岡城(九州大分)。作曲者滝廉太郎の出身地。
④ 富山城(富山県)。滝廉太郎が通った小学校の跡地。
⑤ 青葉城(宮城県)。土井晩翠の出身地。「仙台」の旧名が「千代」のことから、「千代(ちよ)の松ヶ枝」の「千代(ちよ)」と「仙台」」の「ちよ」との掛詞(かけことば)。伊達政宗の兜(上弦の月)。
⑥ 九戸城(岩手県)。土井晩翠が立ち寄ったとされる城址。

それぞれにはそれぞれの根拠めいた言い分?があるようです。しかし、「荒城の月」です。テーマは「うらぶれ、荒廃した城址(じょうし)です。手入れの行き届いた観光地では違和感がありそうです。

これらの中、大分の岡城址と仙台の青葉城址にはしばしば行きました。尤も、歌詞中の「夜半(よわ)の月」の時間帯でない日中に、です。本来の歌詞が表現されていない時間帯でした。

「岡城址」の「本丸跡」(天守閣石垣跡?)と思われる広場の一角に茶店がありました。その茶店の反対側に「荒城の月」の歌碑と音楽装置があり、そこに近づくと自動的に「春高楼の・・・」が流れたことを覚えています。

余談ですが、これと似た仕掛けは全国にあるようです。奥州最北端三厩(みんまや)にも「津軽海峡冬景色の歌碑」があり、近くのボタンを押すと「ごらんあれが・・・」と流れる仕組みだったようです。その是非は兎も角、全国一律の街づくりを目指す行政の在り方を見せつけられる思いをさせられます。

前後しますが、「荒城の月」の舞台が何処であろうとも、「歌詞」のイメージを瑕(きず)つけるものではなく、その地を訪れる人が「この世は常(つね)の無いものである」ことに触れることに詩と曲の意味がある。と考えられそうです。そのことから、単に、人が訪れ来さえすれば、その地が何処であろうが「正解」と言えそうです。

またまた余談ですが、この原稿を書いているとき、偶然にも「月かげ」についての解説がありました。テレビの「BS103チャンネル(美の壺)」で、だったようです。

その中に伊達政宗の兜(かぶと)の「上弦の月」のいわくの説明がありました。政宗は、『武運をはじめとするこの世のことは、月のように満ち欠けるものだ。仮に敗れてもまた満月として復活する。』の考えで「月」を兜の「前立(まえだて)」にした。というものでした。
2023/02/21(火) 10:32
8℃という今冬最高気温に浮かれた直後の今日は、一転して最高気温氷点、そして暴風雪です。そして老骨でもあります。このような日はひっそりと籠(こも)るに如(し)くはなさそうです。

「荒城の月」を訳そうとしています。今日はいよいよ四番の『天上影は変わらねど 栄枯(えいこ)は移る世の姿 映(うつ)さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月』です。この四番こそが土井晩翠の言いたかったことだ、とする考え方もあるようです。

晩翠はここにも「かげ」を使っています。この「かげ(影)」をこれまで通り「ひかり(光)」と訳すと、「空の上の月の光に変化はないが」となりそうです。続く「栄枯は移る世の姿」は、「地上においては、栄えたり滅んだりするのは一般的な摂理である」となりそうです。

しかし、この解釈には他説があります。「天上影」の「影」を「over(離れた真上・上方・彼方・奥)」とする考え方です。その意味では「天上影は変わらねど」は「眼に見えない不変天然の力」と訳すことができそうです。そうなると、もはや「大宇宙の公理」の世界のようです。

それをベースにすると、「天上影は変わらねど」は「人為の加わらない天然の営みは今も昔も変わらないが」であり、対語の「栄枯は移る世の姿」は、「(それと同様に)栄枯盛衰は人の世の習いである」となり、鴨長明の「方丈記」の「無常」の世界を表しているようです。

前後しますが、「影」に「ひかり」と「彼方(かなた)」の意味があるのは、或いは、この詩のつくられた時代背景にも関係があるのかも知れません。「荒城の月」が発表されたのは与謝野晶子が「みだれ髪」を発表した同年の1901年です。その頃は古語(本来の日本語)と現代語の同居している頃だったのかもしれません。然(さ)もありなん、というところでしょうか。

「うつ(映)さんとてか今もなお(尚)ああ荒城のよわ(夜半)の月」は、「変わることなく月が輝き続けるのは、地上の人の世の移ろいを見せようとしているからだ。」という訳になりそうです。

2023/02/20(月) 10:15