今日の最高気温も氷点下です。しかし、積雪は然程ではなく、ほんの5cmほどです。昨晩の時点で、今朝の除雪を予定していましたが拍子抜けです。例年であれば、一晩で40cmほども降ることが数度あります。今年は、自宅近辺以外のエリアに降っているようです。申し訳ない気にもさせられます。
籠(こも)る中、『春高楼の花の宴・・・』に思いを馳せています。先日、友人にそのことを提案すると『是非やろう。』になりました。奥州最北端の開花予定は4月17日だそうです。駐車場に敷物を敷き、鍋なんぞを囲もうか、と思っているところです。
その「荒城の月」を簡単にまとめようとしています。いつの間にか、今日はその(6)になってしまいました。
「荒城の月」の舞台には諸説あります。
① 石動山城(せきどうさんじょう、いするぎやまじょう) (石川県・富山県にまたがる)。「謙信陣中作」の舞台。
② 鶴ヶ城(福島県会津若松市のシンボル)。土井晩翠が感動した美しくも悲しい荒城。
③ 岡城(九州大分)。作曲者滝廉太郎の出身地。
④ 富山城(富山県)。滝廉太郎が通った小学校の跡地。
⑤ 青葉城(宮城県)。土井晩翠の出身地。「仙台」の旧名が「千代」のことから、「千代(ちよ)の松ヶ枝」の「千代(ちよ)」と「仙台」」の「ちよ」との掛詞(かけことば)。伊達政宗の兜(上弦の月)。
⑥ 九戸城(岩手県)。土井晩翠が立ち寄ったとされる城址。
それぞれにはそれぞれの根拠めいた言い分?があるようです。しかし、「荒城の月」です。テーマは「うらぶれ、荒廃した城址(じょうし)です。手入れの行き届いた観光地では違和感がありそうです。
これらの中、大分の岡城址と仙台の青葉城址にはしばしば行きました。尤も、歌詞中の「夜半(よわ)の月」の時間帯でない日中に、です。本来の歌詞が表現されていない時間帯でした。
「岡城址」の「本丸跡」(天守閣石垣跡?)と思われる広場の一角に茶店がありました。その茶店の反対側に「荒城の月」の歌碑と音楽装置があり、そこに近づくと自動的に「春高楼の・・・」が流れたことを覚えています。
余談ですが、これと似た仕掛けは全国にあるようです。奥州最北端三厩(みんまや)にも「津軽海峡冬景色の歌碑」があり、近くのボタンを押すと「ごらんあれが・・・」と流れる仕組みだったようです。その是非は兎も角、全国一律の街づくりを目指す行政の在り方を見せつけられる思いをさせられます。
前後しますが、「荒城の月」の舞台が何処であろうとも、「歌詞」のイメージを瑕(きず)つけるものではなく、その地を訪れる人が「この世は常(つね)の無いものである」ことに触れることに詩と曲の意味がある。と考えられそうです。そのことから、単に、人が訪れ来さえすれば、その地が何処であろうが「正解」と言えそうです。
またまた余談ですが、この原稿を書いているとき、偶然にも「月かげ」についての解説がありました。テレビの「BS103チャンネル(美の壺)」で、だったようです。
その中に伊達政宗の兜(かぶと)の「上弦の月」のいわくの説明がありました。政宗は、『武運をはじめとするこの世のことは、月のように満ち欠けるものだ。仮に敗れてもまた満月として復活する。』の考えで「月」を兜の「前立(まえだて)」にした。というものでした。