青空を背景に白い雲が西から東に移動しています。昼前から暑くなります。日課と並行して「筆箱」をつくっているところです。というよりも、本来の目的は、桜の皮を使った「樺細工」の真似事です。

木地づくりは先日終えています。いつものことですが汗顔すること頻(しき)りの出来です。しかし、自分で使うものです。厚顔ながらも一向に問題は無いのです。

寧ろ、その不出来に愛嬌さえも覚えるところです。あばた(痘痕)を笑窪(えくぼ)と理解する心理のようです。

仕上げは拭漆(ふきうるし)です。一般的には、最低5~6回は塗り重ねるようです。昨朝、1回目の塗りを終えています。「上生漆(じょうなまうるし)」を使っています。今朝みると、まあまあの出来です。しかし、満たされない何かがあります。

このままでは単調な色彩になってしまうからです。今日の2回目は「朱漆」を使いたくなります。1回目は黒、2回目が朱、そしてその上に上生を重ねる企てです。

話は飛びますが、木から取り出した直後の漆はコーヒー牛乳のような色をしているようです。それが空気に触れることで黒く変化します。しかし、実際にはたくさんの色があります。



数千年昔につくられた漆器にも朱が使われています。これは染料の調合によるものです。唯一の例外は透明だけです。その意味では朱と黒を重ねても問題は無さそうなのです。「樺細工」とともに、今回の「筆箱」づくりはその試みでもあります。

またまた話は飛びますが、一般的な「拭漆」は黒の「上生(じょうなま)」を使うようです。以前、「朱」で「拭漆」をしたことがあります。やはり透明感のある見たことの無い作品になりました。

しかし、これを見たH氏が、『国内で朱の拭漆をしている塗師(ぬし)は一人もいない筈です。』、『しばらく秘密にしておいてはいかがですか。』と感激してくださいました。業界に詳しい漆問屋の専門家です。だいぶ驚いたようです。

今回の朱は「練朱」です。ドロッとした不透明極まりない漆です。しかし、塗ったものを拭き取ると微(かす)かな朱が残ります。この微妙な色合いを期待していたのです。明朝の様子をみて塗り重ねるかどうかを判断するつもりです。

さて、拭漆(ふきるし)のポイントは如何に綺麗に拭き取るかにあるようです。実は、塗りあげた作品をH氏にチェックしていただいています。彼がまず調べるのは拭き残しの有無です。

実は、直角をなしているコーナーの拭取りは意外に厄介なものです。普通に指を使うと、そのコーナーに漆が溜まるのです。それをそのまま乾燥させると、醜いチヂミ(縮み)に変化します。



これは漆の表面と内部の乾燥の時間差によってできるヒビ割れのようなものです。勿論、乾燥後に削り取ることも可能ですが、微妙な凹凸までは復元しきれないことが多いのです。

今回は千枚通しを使うことにしました。5~6枚に折った「拭き紙」を先端につけて余分な漆を搔(か)き取ります。勿論?何回も繰り返します。結局、今日で2回目の拭漆を終えます。

この段階で浮上するのが木地の様子です。微かな瑕(きず)やプレナーで波打った箇所がクローズアップされてきます。しかし、不本意ながらも、今回はこのまま前進することにします。

2011/09/09(金) 17:39

薄曇り中、往復700kmの宮城県に出かけます。日帰りの研修旅行のつもりです。いつものことですが、東北自動車道は恐縮するほど空(す)いています。奥州最北端と盛岡間は特にです。

やがて盛岡を南下すると車の数は少し増えます。しかし、宮城以南と比べるとまだまだ貸切状態です。空いています。よく解かりませんが、交通量が経済活動と相関関係があるとすれば、納得できなくもないところです。

高速道路を走ることには楽しみがあります。緑の中に浸れること、そしてそれぞれに特有な山並みと出会うことです。家を空けた時間は8時間です。7時間は車の中、そして1時間が研修です。


ということで、今日の工房活動は朝一番の1時間ほどです。テーマは漆の塗りです。数点に拭き漆です。塗りを待っている作品がたくさん控えているのです。まず、「弁当箱」とティースプーンです。4~5回目になっている筈です。


「筆箱」は、昨日、簪(かんざし)を挿(さ)して目地調整をしています。拭き漆は今日が初日です。いつものように、漆に若干のテレピン油を混ぜます。拭き漆は、単に塗った漆を拭き取る方法です。

これを数回繰り返すことで透明感と艶(つや)が出ます。しかし、初回の塗りが肝心です。可能な限り、木部に浸透させることです。それを助けるために生漆にテレピン油を混ぜ、粘度を低くします。目には見えない舞台裏の配慮です。

今回の木地はケヤキ(欅)です。拭き漆に最も適した素材といわれています。木の目が浮かび上がるところが嬉しいのです。

今回の課題はそのケヤキに桜の皮の象嵌です。結果のほどは実際に試すに限るのです。暫らく様子をみることにします。

日中お邪魔した先で、この樺細工(かばざいく)を拝見します。今挑戦している世界だけに不思議です。さまざまな形の木地に貼り付けているところに工夫の跡とモガキを窺うことができます。200年間の軌跡です。


作品づくりに必要な要素は何をどのようにつくるかのビジョンの設定にあるようです。しかし、それとともに、作者自身の品性にも関係しているようです。

仮に、如何に幼稚な加工技術ではあっても、魅力のある作品はあるものです。結局は如何に人間性を磨くかに負われているのかも知れません。

そのセンスを克服する特効薬はこのモガキだけのようです。やはり血を流さなければ納得する作品には辿(たど)りつけないのかも知れません。


2011/09/08(木) 20:53

早朝、西の空に大きい虹が出ています。今日は晴れと雨が交互です。

昨日、桜の皮の手入れをします。はじめての象嵌(ぞうがん)との対面です。今日は本体づくりからです。本体、というのは桜の皮を埋め込む相手です。これを筆箱にします。箸箱のようなものです。

しかし、愛用の筆は9寸です。一般的な箸箱では収まらない長さです。第一歩からつくることにします。そして、箸箱のようなつくりでは使い難いことから、可能な限り単純にしたいところです。

実はこの単純さが曲者(くせもの)です。舞台裏には意外なほどの緻密で精巧な加工が潜(ひそ)んでいることが多いのです。

手持ちの薄いケヤキ(欅)を使います。硬いことからデリケートな加工に耐えることからです。ストレートビットを使います。話は飛びますが、トリマーの効率的な使い方はまだ試行錯誤の中です。

定規(じょうぎ)をビットのどちらのサイドに置くか、です。デリケートな加工のときに要求される選択です。加工材の定規の吸い付きはビットの回転によって決まります。それは往々にして、基本に反することが多いのです。

小さい細工というものの久しぶりの箱づくりです。いつものように、いい加減な寸法になります。特に、底板は、側面に溝を穿(うが)って嵌め込む構造です。このオスとメスの加減に紙1枚ほどの誤差を生じています。


そのいい加減の中、組み立てることにします。醜くはなるものの微調整に頼れないことでもないからです。切り札は砥の粉(とのこ)と漆です。ま、何とかなる筈です。

薄い板を使ったことで箱の4隅の固定が不安です。合わせる両者の接着面が小さいのです。いつものように簪(かんざし)を嵌(は)め込むことにします。以前、何回かやったことがあります。

実際に経験したことのあるものはフットワークよく作業できるものです。そしてメインテーマの象嵌です。蓋(ふた)につけるワンポイントです。

これは、単なるアクセントではなく、箱の上下のスィグナルでもあります。サクラの皮の厚さは2mmです、それを埋め込む溝を丸鋸(まるのこ)で搔き取ります。単純な斜めのラインにします。

あとは接着剤で固定するだけです。今は期待する艶(つや)ではない状態です。しかし、やがて漆をかけることで、今とは全く違う結果になる筈です。

カバ(樺)の象嵌の欅(ケヤキ)の拭き漆筆箱になる見通しです。敢て命名するとすれば「拭漆樺象嵌之筆箱」、となるのかも知れません。


昼前、友人がお出でになります。山菜の専門家です。『バカマツタケは出始めています。ホンマツまではもう少しです。心配したものの、今年も期待できます。』、ということです。『香りマツタケ味シメジ』、といわれています。


マツタケは炭火で炙(あぶ)って塩をふりかけていただきます、香りとともに、そのシャキシャキ感が絶妙です。それ以上に土瓶蒸(どびんむし)です。期待すること大です。

しかし、それ以上に期待するのがイクジ(アミダケ)です。ハツタケ、ラクヨウ、ナンバン等でつくった佃煮(つくだに)はマツタケ以上の世界です。まだ出ていないようです。あと1~2週間は正座しての待機になるそうです。

夕刻、K社長が見えになります。ここ数年納品していた作品についてご相談します。実は、工房活動に一区切りをつけることになりそうです。ズブの素人ながら、ここ数年、楽しく没頭させてもらっています。

しかし、世の中の事情が変化してきています。間口を広げたツケが頓珍漢(とんちんかん)な角度から侵されてもいます。山積する課題はあるものの、暫らくの間は足を洗うことも良さそうです。

そして、ここ数年、ほぼ毎日のように連載してきたこのブログも小休止した方が良さそうです。少し考えることにします。

2011/09/07(水) 19:52

昨晩降り出した雨が朝まで続きます。午後からは真っ青な空になります。やや風があります。ノースリーブで部屋に居ると寒いほどです。

短い時間ですが今日も工房に入ります。昨日手をつけた「桜の皮」の鍛えです。乾燥していたものを平面化する作業です。樺細工(かばざいく)の真似事のようなものです。

話は飛びますが、木の皮を使う樺細工の意味を考えてみました。おそらく、木肌の美しさを活かすことを目的としたようです。その模様に同じ形の無いことも魅力です。

それとともに、皮とはいえど、自然の恵みを大切に扱う、という自然への畏敬(いけい)の念もあるように思えてきます。

さて、今回イメージしたものは緻密な工芸レベルではなく、単にアクセントの材料としてのものです。筆箱、ペン皿、箱等に貼り付けるピースをイメージしたものです。所謂(いわゆる)、簡単な象嵌(ぞうがん)のようなものです。


「象」は「かたち」、そして「嵌」は「はめる」です。ある素材に別の素材を嵌める意味のようです。その材料に木を使ったものが「木象嵌」です。話は飛びますが、貝を使ったものが螺鈿(らでん)です。

今日のプレス加工には助手も参加します。綺麗に剥(は)がしたつもりですが切れ目や凹凸の激しい部分もあります。しかし、実際に使うのはその中のほんの一部です。

作品の大きさにもよりますが、貼り付ける大きさはせいぜい5cm平方程度です。不適当な部分は使わなければ良いだけのことです。

今回はほんの下拵え(したごしらえ)です。不十分な磨きは、実際に作品に貼り付ける際に対応できる筈です。取りかかる前は曖昧模糊(あいまいもこ)であったものが、次第にその本質と内容が浮かび上がってくることが不思議で。


稚拙(ちせつ)は兎も角として何とかなるものです。とはいうものの、困ることは、嵌め込む象のデザインです。こればかりはセンスが要求される世界です。最も不得意とするジャンルです。

一生懸命つくってガックリするくり返しを余儀なくさせられそうです。ま、それも楽しからずや、ではあるのですが・・・。


新組閣の第一声がタバコ値上げです。その理由が、健康を慮(おもんぱか)ってです。詳しいデーターは解かりませんが、愛煙家の多くは肉体を酷使している第一線の労働者に多いようです。

わけのわからない理由をつけて搾取することの鈍感さを感じていないことが恨めしいです。いい加減にしてもらいたいところです。


2011/09/06(火) 18:24

日中は雨はなく、明るい曇り空です。朝、K社長がお見えになります。『ねぶたが届きます。手伝ってください。』、ということです。

このねぶたは第三代ねぶた名人の佐藤伝蔵氏がつくったものです。長い間、T旅館の玄関に置いて全国に紹介していたものです。しかし、時間の経過とともに色が褪(あ)せ、今回、全面張替えを依頼していました。

手がけたのは佐藤伝蔵氏から指導を受けた北村隆氏です。最優秀作品を何台もつくっている、現在のねぶた師の第一人者です。イギリス大英博物館に展示されている「聖人 聖徳太子」は北村氏の作品です。

修復したねぶたは「不動明王邪破の剣」です。その面(おもて)は「ねぶたの家」の「見晴台」コーナーに展示されています。炎や剣等の全体を表現したものはT旅館だけに残っています。

話は飛びますが、「邪破の剣」というのは不動明王や文殊菩薩が持つ「降魔の利剣」です。またまた話は飛びますが、この剣は、奥州最北端のA高校の応援歌(凱歌(がいか))にも登場しています。

『甲田山頭雲晴れて/我が軍勝てり嗚呼(ああ)勝てり/降魔(ごうま)の刃の閃きに/敵の頭は地に落ちぬ・・・』です。懐かしいです。

仕上がった作品をみて驚きます。佐藤伝蔵の作風を忠実に再現しているのです。それは、人形もそうですが、自筆で書かれた「不動明王邪破の剣」の標題とサインも、です。貼りなおしている紙に書かれていることが不思議でした。

即、訊(き)いてみます。『よくお訊(たず)ねしてくれました。実は、最も苦心したところです。』、と舞台裏を解説してくださいます。発想もさることながら、その制作意欲に敬服するところです。その他、さまざまな裏話を教えて下さいます。

実は個人的な見方ですが、作品本体よりも筆を使った文字が素晴らしいです。棟方志功の字もそうです。手本として毎朝拝見しています。粗末な筆を使っていますが、素人には真似のできない文字です。


さて、工房KUROOBIでは日課の作品づくりです。旅行プログラムの「大人の休日」が始まっています。催促される有様です。しかし、それとは別に、新しい世界に踏み入りたくなります。

「樺細工(かばざいく)」を試すことにします。「樺」とはいうものの、実際には「サクラ(桜)」の皮をつかったものです。よく解かりませんが、古い昔、サクラをカバと表現していたのかも知れません。

「白樺(しらかば)」とダブルところが、「樺細工」を曖昧(あいまい)とさせる所以(ゆえん)のようでもあります。秋田県が本場のようです。昔から見馴れたものです。

その曖昧さを払拭(ふっしょく)するための試みです。勿論、失敗することを目的としています。簡単に成功するのであれば面白くないのです。

単にやってみることで理解する筈なのです。あーでもない、こーでもない、という事前の講釈よりも遥かに優先する基本姿勢のようなのです。

材料の皮は確保しています。今年の春、看板の柱に山桜を使いました。その折、綺麗に剥けた皮が勿体無く、乾燥させていたのです。春の樹木の皮は簡単に綺麗に剥(む)けるのです。半年ほど陰干ししています。

本来は、「2年」ほどは乾燥するようです。しかし、今回は様子を窺うために、即、行動開始です。半年、というものの、実際には、ガツン、ゴリゴリと硬化しています。そして凹凸を含んで歪んでいます。

まず、そのゴリゴリの削除です。実は、当初、この表面が作品に貼り付ける状態になることが理解できませんでした。やはり、削り取る以外にはなさそうです。試しに、粗い目のディスクグラインダーをあててみます。


ザッと撫(な)でるだけで、茶筒等で見馴れたサクラの皮の表情が現れます。感激の一瞬です。グラインダーで丁寧に削り落とし、その後、360番、400番で滑らかにします。サクラの表皮は木と直角の方向に磨くのが良さそうです。

次に、歪(ゆが)みの修正です。実は、仮に成功した暁には、これを箱等に貼り付けるつもりです。アクセントのためです。平面に修正します。

ツールは、蒸気の出ないアイロンです。最高の温度にし、体重をかけながら優しくプレスします。表裏を数回繰り返すことで期待以上に平面になります。

これにも感激です。しかし、プレスの際、うっすらと水分が出ます。半年では蒸散しきれなかった水分です。この時点で、「2年」の意味を理解します。

煎餅(せんべい)状態になったものに、更にサンダーをかけます。グラインダーの跡が残っているのです。ま、ここまでくれば何とかなりそうです。これからはパッチワークを楽しむことになりそうです。
2011/09/05(月) 19:27

青空をキャンバスに白い雲が薄く刷(は)かれています。その青色が濃いことから、天の位置が高く感じます。風はややあるものの、今日も夏のような暑さです。午後になって、気温は更に上昇しています。


午前中、試合会場にお邪魔します。これまでと違って、練習試合も織り込まれた大会です。先般、大会運営に伴う作業分担の要請がありました。稚拙な腕前も顧みないでの助っ人です。これにはさまざまな舞台裏があります。

実は、これまで何十年も、連休はじめ、長期の休みには県外に出稽古していました。今回は、逆に、県外の皆さんを当地区にご招待する大会になっています。これまでの恩返しの意味を持つ企画をしたことになります。

能力を発揮できる開かれた環境づくりに関わった皆さんに、深い敬意を払うところです。昨日に続いて爽(さわ)やかな空気に触れることができました。ありがとうございます。


ニラ(韮)の花が咲いています。スマートで清楚です。感激します。植えたものですが、実際には収穫することはなく、自然に任せていました。邪道とは思うものの、切花にして活(い)けることにします。


春から生り物を育てています。他からは笑われるような倹(つま)しいものです。何よりも、殆ど手入れをしていないことが説得力に欠ける所以です。しかし、成長過程を時折窺(うかが)えることが嬉しいです。

今春、初めて植えたものにカボチャ(南瓜)とスイカ(西瓜)があります。どのように花をつけ、どのように結実するかもわからないで植えました。内心では、実際に収穫できるものとは思っていない、ほんの試みのつもりでした。

しかし、花をつけ、実が生りやがてそれらしくなっています。カボチャ(南瓜)の収穫時期は、表皮に爪がたたなくなってからだそうです。そしてスイカ(西瓜)は結実後40日だそうです。また、40日~50日という説もあります。

スイカがパチンコ玉大の実をつけたのは7月20日ころです。いずれにしても適期のようです。大玉の筈でしたが、バスケットボール大です。まだまだ大きくなりそうですが、勇気をふるって収穫を断行します。ズシリと重いです。


スイカは3本植えました。鉢植えにした庭の1本は実をつけませんでした。他の2本は川原です。その1本は草と一緒に刈ってしまいます。

残りの1本に3個生ります。そのうちの根元に近い1個だけを収穫します。残りは友人にお分けすることにしています。

種や苗からスタートして生った実を目の当たりにする瞬間です。当然といえば当然のことですが、実に不思議です。一入(ひとしお)の感激を味わいます。

予定ではカボチャが40個、スイカは30個ほどでした。その1割の収穫です。であっても大いに満足するところです。単に欲しいのであれば何個でも容易に手に入るものです。カボチャは20円ほど、スイカは数百円なのです。

しかし、拙い手当てであったとしても自分で育てたものには、それとは違う次元の何かがあるものです。下世話な表現では、1個数千円にも数万円にも思えてもきます。しばらくは鑑賞するだけに徹するつもりでいます。

2011/09/04(日) 19:48