Aloha 'oe(アロハ・オエ) の日本語訳詩をWEBに尋ねてみます。すると、「徳山 璉(たまき)」、「久野静夫」はじめ多くの皆さんが関わっていました。多くが関わっていたことは、「アロハ・オエ」 が単に、常夏の楽園への憧れやメロディーの魅力だけではなく、ハワイとの深い拘わりを持つ多くの日本人の存在を窺わせます。

それは、他国で故国に思いを馳せる人々、彼らを見送った人々や帰国を待ち続けているかも知れない人々、互いに幸せであれかしと願う人々等、それぞれの思いの大きさであったのかも知れません。

これもまた偶然ですが、つい先日、司馬遼太郎の「街道をゆく」で「まぼろしの十三湊(北のまほろば)」の放送がありました。それは、今は寒村といわれる十三湊(とさみなと)は、昔は栄華を誇った「黄金の港」であった、というストーリーだったようです。同時に、それは太宰が嘆いた奥州最北端の飢饉(ケガチ・不作)の紹介でもあり、「出稼ぎ」の紹介でもあったようです。

「まほろば」は「真秀(まほ)ろば」のようです。倭建命(やまとたけるのみこと)がつくった、『倭(やまと)は国のまほろば たたなずく青垣山ごもれる 倭(やまと)しうるわし』の歌に出会ったのは、高校時分の「古典の時間」だった記憶があります。


(徳山 璉(たまき))
(一)やさしく奏(かな)ずるは ゆかしウクレレよ ハワイの波静か 夢を乗せて揺(ゆ)るる
(※くりかえし) アロハ・オエ アロハ・オエ こだまする あの調(しら)べよ アロハ・オエ アロハ・オエ さらばハワイよ
(二)乙女のかき鳴らす 嬉しギターレよ 果て無き海越えて遠く遠く響け(ギターレ~ギターをウクレレ大にした楽器)
(※くりかえし)・・・

(久野静夫)
(一) あこがれの遠い島南の夢の国 美しい椰子の葉の緑深い浜辺
(※くりかえし) アロハ・オエ アロハ・オエ 手を振る友の姿は アロハ・オエ アロハ・オエ今も浮かぶよ
(二) 思い出は懐かしいはるかの夢の国 さざなみに月うつり夜の海は静か
(※くりかえし)

(大橋節夫・久野静夫 美空ひばりが唄った歌詞のようです。)
涙にむせぶよに椰子の葉がゆれて つきない想い出が胸をせめる今宵
アロハ・オエ アロハ・オエ いつまで忘れないで アロハ・オエ アロハ・オエ あなたを待つ
アロハ・オエ アロハ・オエ いつまで忘れないで アロハ・オエ アロハ・オエ あなたを待つ

(佐伯 孝夫)
渚雨に濡れて しのび泣くはかもめか 見返る君の瞳 何に見入りて淋しく
(※くりかえし)アロハ・オエ アロハ・オエ また逢うその日を夢見て贈る掛け花 君よさよなら

後に、アロハ・オエは平和の回復を待望する歌詞が付けられ、讃美歌にもなったと言われています。
2023/05/28(日) 09:04
アロハ・オエのメロディーは、日本中の同年代は誰もが知っています。しかし、その歌詞には英語とともに、聴き慣れない「ハワイ原語」が含まれています。必然的に、私たちの記憶に残っているのは日本語に訳詞された端々です。即、この機に、その詩をクローズアップしてみることにしました。WEBで検索すると次のようです。

Ha'aheo ka ua i na pali / Ke nihi a'ela i ka nahele / E hahai ana paha i ka liko / Pua 'ahihi lehua o uka
ハアヘオエカウアイナパーリ / ケーニヒアエライカナヘーレ / エウハイアナパハイカリコ / プーアヒヒレイウアオーウカ
(谷に降り注ぐ大粒の雨 森の中を流れゆく 谷の花アヒヒ・レフアのつぼみを探して)

Aloha 'oe, aloha 'oe Aloha 'oe, aloha 'oe / E ke onaona noho i ka lipo / One fond embrace, / a ho'i a'e au Until we meet again
アロハオーオーエ アロハオーオーエ / イケオナオナノホイカリーポ / ワンファンドエンブレィス / アホイアエアウー / アンティル ウィミイートゥアゲイン
(さようならあなた さようならあなた 木陰にたたずむ素敵な人 別れの前に優しい抱擁を また会えるその時まで)

2023/05/25(木) 10:00
簡単な原稿づくりのつもりでしたが、つい、グダグダ、ダラダラと続くことになりました。今日は、Aloha 'oe(アロハ・オエ) の(2)です。


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やがて明治維新後、急増するサトウキビ農園づくりのために、日本はじめ中国、ポルトガル、ドイツ、ノルウェー、スコットランド、プエルトリコ等からの労働力が招致されます。その中での日本からの移民は70%を占めていたそうです。現在、その日系は5世にもなっているようです。

しかし、移民とはいうものの、いわゆる、国外に出ての「出稼ぎ」です。奇しくも、このレポートの草稿を書いていた朝(2023/05/19)、BSで、山口県周防大島(すおうおおしま)からのハワイ移民の紹介がありました。プランテーションでの労働、生活環境、望郷の思い、故国への仕送り等のレポートでした。当時の周防大島の生計は漁業だったようです。その背景が窺えそうです。

反面、この島出身者には著名な方も多いです。その中の一人が、美空ひばりの「みだれ髪」、渥美清の「男はつらいよ」、北島三郎の「風雪ながれ旅」等々の戦後歌謡の殆どを彩っていた「星野哲郎」です。その歌詞の多くには、「海」、「旅」、「渡り鳥」等が織り込まれていたようです。


様々な苦難の中で最も困ったのが太平洋戦争(大東亜戦争)であったようです。抜き打ちのパールハーバー攻撃で始まった大戦です。戦時下の日本からの移民者は、日本語翻訳等でアメリカ軍の諜報員になるか、敵国人として扱われるか、その立ち位置に翻弄されたようです。或いは、親族が敵味方に分かれて戦っている、現在のウクライナに近いものであったのかも知れません。

前後しますが、日本移民の交通機関を担ったのが「笠戸丸(かさとまる)」です。その切なさは、「なかにしれい」の「石狩挽歌(・・・沖を通るは笠戸丸・・・)」にも紹介されています。
次は、当時の砂糖キビ畑で歌われていた「ホレホレ節」の一節です。

(一)「ハワイハワイとよー夢見てきたが 流す涙もキビの中 カネ(夫)はカチケン(キビを刈る作業)よー わしゃホレホレ(キビの葉を落とすこと)よ 汗と涙の共稼ぎ

(二)ゆこうかメリケン(アメリカ本土)よー帰ろうか日本 ここが思案のハワイ国、横浜出るときゃよー涙が出たが 今じゃ子もある孫もある」

やがて、クック以前の南海の王国は白人勢力に倒され、1900年、アメリカ50番目の州として合衆国に併合されます。

「アロハ・オエ」の意味は、「おはよう」、「こんにちは」、「さようなら」、「我が愛をあなたに」・・・のようです。しかし、多くのハワイアンの「詩」には、「表面的な意味」の他に「隠れた意味」があるのが一般的といわれています。

「アロハ・オエ」もまた、単なる別れや歓迎の意味だけではなく、「ハワイ王国終焉(しゅうえん)」を綴ったものとも言われています。それは、王女「リリウオカラニ( Lili'uokalani)」が、対立勢力との闘いによる多くの流血を避けるために自ら牢獄に入った無念の描写ともいわれています。
2023/05/22(月) 18:10
早朝、苗の植え付けをします。トマト、キュウリ、ササゲ、スナックエンドウ、エダマメ(早生)、ネギ等です。他に、苗の育ちを待っているのがピーマン、ナス、ケマメ等です。殆どは種蒔きから育てたものです。

困ったことは、植える場所が無いことです。実は、ピーマンがこれほど多く発芽するとは思っていなかったのです。昨年は、ジャガイモを植木鉢にまでも植えました。今年も、物置から大き目の鉢を出して何とかせざるを得ないことになりそうです。それでも、隣近所の皆様に貰っていただかなければ処理できないことになります。

さて、木工、畑作業等との並行のプログラム原稿づくりは、いつの間にか日本、ヨーロッパ、そして南北アメリカにまで及び、世界紀行に変貌しています。こうなると外せないのが、ハワイアン(ハワイの音楽)です。その代表曲は、日本人のだれもが知っている「アロハ・オエ(Aloha ʻOe)」です。

この曲をプログラムに取り上げたのは、間もなくハワイ旅行する知人がいるからでもあります。当初、筆者も、噂に聞くハワイのアイスクリームとともに、素朴なウクレレを味わいたかったところでした。しかし、既に老骨です。またパスポート期限が過ぎ、その参加が覚束(おぼつか)ない状況です。せめて、自宅の書斎で、ハワイを想像するだけに甘んじることになりました。

ハワイに関する知識は、単に南国の夢の国程度のものでした。そして、地理的にも、南半球と思っていました。しかし、その位置を地球儀で窺うと、日本とアメリカ西海岸のほぼ中間地点にある北太平洋上の諸島のひとつでした。

しかし、単なる南国の平和な国だけではなく、経済・産業・文化・宗教・政治等々でも、様々な紆余曲折の歴史もありました。その中には、100年に及ぶ「ハワイ王国統一国家」が確立される中での、ジェームズ・クックの「発見」に伴う欧米人との接触で近代化の波に飲み込まれる激変もあったようです。


この曲は、ハワイ王国最後の女王、第8代女王リリウオカラニ(Queen Liliuokalani/1838-1917)が1890年代に牢獄でつくったとされています。
2023/05/20(土) 16:01
例年より早い春の到来でしたが、園芸作業には遅滞を帰しているところです。運動不足か、或いは、老化による気力体力の減退によるものなのでしょう。それでも漸(ようや)く、昨日から畑に手をかけ始めました。エダマメ、ピーマン、ナス、ササゲ、各種ネギ等の苗は種から育てました。トマト、キュウリは市販の苗を入手しました。畑を耕し、苦土石灰、牛糞鶏糞堆肥、籾殻、化成肥料を混ぜます。今後の作業は、スクリーン仕立のための杭とポールのセット、そして網張りです。そして畑を整地し、苗植えをして一段落です。

並行して「ねぶたの準備」です。6月から始まる展示会のためです。今朝、関係会社の社長さんから作業進捗の確認がありました。岡本かの子ではありませんが「・・・いよよ華やぐ・・・」というところでしょうか。少し気合の入るところです。


並行して、演奏会のプログラムづくりは、ジャニギターは(6)に続いて(7)を迎えます。

当時はWEBの存在はなく、情報収集の難しい時代でした。即、マザー・グースの入手をD書店に相談します。話は飛びますが、その書店には、昔、寺山修司も立ち寄っていた奥州最北端のT橋の袂(たもと)にありました。社長のSさんが、フットワーク良く調べてくれました。

数日後、S社長さんから状況が伝えられます。『全国に問い合わせた結果、日本にはありませんでした。イギリスから取り寄せましょう。』でした。やがて、2週間ほどで、4冊の「マザー・グース」が手元に届きます。記憶は曖昧ですが、送料無し、だった筈です。よく解りませんが、国際間の書籍の移動には特別な配慮があり、その恩恵に浴したものだったのかも知れません。

「さらばベルリンの灯」の主題歌「Wednesday’s child」は、「マザー・テレサ(Mother Teresa)」の「マザー・グース」からの引用だったことになります。

因みに、「マザー・テレサ(Mother Teresa)」はインド・カルカッタの聖人です。しかし、「マザー・グース(かあさん鵞鳥)」は、「がちょう」ではなく、イギリスに伝承されている童謡や童話のことです。

Monday's Child(Mother Gooseより)
※「Wednesday’s child」は、マザー・グースでは「Monday's Child」になっていました。

Monday’s child is fair of face,(月曜日の子は器量がいい)
Tuesday’s child is full of grace,(火曜日の子は品がある)
Wednesday’s child is full of woe, (水曜日の子はべそっかきだ)
Thursday’s child has far to go, (木曜日の子は苦労する)
Friday’s child is loving and giving, (金曜日の子は愛情ゆたかで恵まれている)
Saturday’s child works hard for its living, (土曜日の子は生活のための苦労がある)
But the child that is born on the Sabbath day, (日曜日生まれの子はね
Is bonny and blithe, and good and gay. (かわいくて、明るく、気立てのいい子だよ)※Sabbath day~安息日、日曜日
2023/05/15(月) 08:35
プログラムづくりは、確固たるストーリーを持たないまま、そして、行き当たりばったりで脈絡を持たない中、「さらばベルリンの灯(1966年作、イギリス・アメリカ映画)」の主題歌「Wednesday’s child」に及びます。

映画のストーリーは、イギリス諜報部員クィラー(George Segal)とネオナチ(neo Nazism・第二次世界大戦後の社会的運動のひとつ)との攻防を描いています。その中に、女性教師インゲ(Senta Berger)が加わります。

この曲を知ったきっかけは、何気なく観たテレビでした。何回目かの再放映で、だったようです。劇中で、西ベルリンにあるイギリス諜報部事務所のラジヲから、この曲が流れます。ほんの一瞬でした。5~6小節ほどだったでしょうか。

ラジヲからの歌が終わると、劇中のアナウンサーが、『歌はマット・モンローでした。』と解説します。マット・モンローはイギリスの歌手です。イギリスが西ベルリンに対して、自国のアーティストを誇らしげに放送していたのでしょう。おそらく、自国関係者への陣中見舞いと敵国へのジャブの演出だったのでしょう。

ストーリーの記憶は曖昧ですが、主題歌は強烈な女々(めめ)しさのあるものでした。Wednesday’s child(水曜日の子)は諜報部員クィラー自身のことで、「When you smile」の「you」は女教師「インゲ」のように思えました。しかし、映画では、インゲがネオナチであるか否かは明確にしないまま終わります。

即、その歌を覚えようとしました。そのレコードを、同級生のT.Y君が持っていたのです。直径30cmのLPでした。何気なく観た映画でしたが、学校では多くの皆が知っていたのです。歌で使われているのは簡単な単語です。

さらにマット・モンローのクリア(clear)な発音が手伝い、5~6回聴くだけで唄えるようになりました。今と違い、若い頃は、海綿のような吸収力があったのでしょう。因みに、マット・モンローは、「ロシアより愛をこめて(From Russia with Love)」等、たくさんの映画の主題曲を唄いました。そして、彼の歌によって、多くの映画自体がその評価を高めたようです。

しかし、歌は憶えたものの、同時に、大きい命題も背負い込むことになります。「Wednesday’s child is full of woe」の意味が解らないのです。何故、「水曜日の子が不幸(泣きべそ)」で、「金曜日生まれの子が恵まれている」のかが解らなかったのです。

あるとき、Y女史にそのことを訴えます。すると、「それはマザー・グース(Mother Goose)に載っていた筈です。」と教えてくれます。数十年間も糢糊(もこ)としていた課題が一瞬で解決します。それまで、高校の英語の先生は勿論、アメリカ人、カナダ人、イギリス人等の、英語に堪能と思われる方々の誰も答えることのできない命題だったのです。
2023/05/11(木) 11:30