簡単な原稿づくりのつもりでしたが、つい、グダグダ、ダラダラと続くことになりました。今日は、Aloha 'oe(アロハ・オエ) の(2)です。


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やがて明治維新後、急増するサトウキビ農園づくりのために、日本はじめ中国、ポルトガル、ドイツ、ノルウェー、スコットランド、プエルトリコ等からの労働力が招致されます。その中での日本からの移民は70%を占めていたそうです。現在、その日系は5世にもなっているようです。

しかし、移民とはいうものの、いわゆる、国外に出ての「出稼ぎ」です。奇しくも、このレポートの草稿を書いていた朝(2023/05/19)、BSで、山口県周防大島(すおうおおしま)からのハワイ移民の紹介がありました。プランテーションでの労働、生活環境、望郷の思い、故国への仕送り等のレポートでした。当時の周防大島の生計は漁業だったようです。その背景が窺えそうです。

反面、この島出身者には著名な方も多いです。その中の一人が、美空ひばりの「みだれ髪」、渥美清の「男はつらいよ」、北島三郎の「風雪ながれ旅」等々の戦後歌謡の殆どを彩っていた「星野哲郎」です。その歌詞の多くには、「海」、「旅」、「渡り鳥」等が織り込まれていたようです。


様々な苦難の中で最も困ったのが太平洋戦争(大東亜戦争)であったようです。抜き打ちのパールハーバー攻撃で始まった大戦です。戦時下の日本からの移民者は、日本語翻訳等でアメリカ軍の諜報員になるか、敵国人として扱われるか、その立ち位置に翻弄されたようです。或いは、親族が敵味方に分かれて戦っている、現在のウクライナに近いものであったのかも知れません。

前後しますが、日本移民の交通機関を担ったのが「笠戸丸(かさとまる)」です。その切なさは、「なかにしれい」の「石狩挽歌(・・・沖を通るは笠戸丸・・・)」にも紹介されています。
次は、当時の砂糖キビ畑で歌われていた「ホレホレ節」の一節です。

(一)「ハワイハワイとよー夢見てきたが 流す涙もキビの中 カネ(夫)はカチケン(キビを刈る作業)よー わしゃホレホレ(キビの葉を落とすこと)よ 汗と涙の共稼ぎ

(二)ゆこうかメリケン(アメリカ本土)よー帰ろうか日本 ここが思案のハワイ国、横浜出るときゃよー涙が出たが 今じゃ子もある孫もある」

やがて、クック以前の南海の王国は白人勢力に倒され、1900年、アメリカ50番目の州として合衆国に併合されます。

「アロハ・オエ」の意味は、「おはよう」、「こんにちは」、「さようなら」、「我が愛をあなたに」・・・のようです。しかし、多くのハワイアンの「詩」には、「表面的な意味」の他に「隠れた意味」があるのが一般的といわれています。

「アロハ・オエ」もまた、単なる別れや歓迎の意味だけではなく、「ハワイ王国終焉(しゅうえん)」を綴ったものとも言われています。それは、王女「リリウオカラニ( Lili'uokalani)」が、対立勢力との闘いによる多くの流血を避けるために自ら牢獄に入った無念の描写ともいわれています。
2023/05/22(月) 18:10