昨日、今日と明るい日です。最高気温は10℃以上です。執拗(しつよう)に降り続けた雪は流石(さすが)に時でないことを悟ったようです。そして、あれほど高く降り積もっていた庭は、あちらこちらに土を見せています。

眩(まぶ)しい春の陽光を浴びています。しかし、まだまだ『野に満つる香)も知らず』です。まさしく、藤村(とうそん)の「千曲川旅情の詩」の2番です。そして1番の『緑なすハコベは萌えず 若草も籍(し)くによしなし』です。

今日は遠方からH氏がお出でになります。「木地(きじ)」を持ってきてくれます。実は、「工房KUROOBI」ではここ7~8年、「漆(うるし)」にとりつかれています。テーマは「拭き漆(ふきうるし)」です。これは、木地(きじ)の素材を表現することを目的のひとつとする塗り方です。


これまで手当たり次第、さまざまな木地を試してきました。身の程もわきまえず、そろそろ、木地に拘(こだわ)りたくなります。

実は、この「拭き漆」は、完成まで結構な日数を伴います。ある意味では贅沢(ぜいたく)な加工です。だからこそ、塗る前の木地を選びたくなります。

考えた末、「なつめ(棗)」にします。「お抹茶」の入れ物です。精度の高さを要するデリケートな蓋物(ふたもの)です。同じ「漆塗り」であっても、厚塗りと拭き漆の薄塗とでは木地のつくりが異なります。

塗った後に、スッと蓋(ふた)が沈むための、「身と蓋」の微妙な寸法設定に配慮することになります。話は飛びますが、蓋物では、蓋に対して本体を「身」というようです。「身も蓋もない」はこれに由来しているようです。

さて、単に「なつめ(棗)」といってもさまざまな種類があります。今回は、「雪吹棗」、「大棗」、「中次棗」、「平棗」にします。(写真の左側からです。)

素材は、木目(もくめ)の明確な欅(ケヤキ)です。素朴で、それでいて優雅な、そして大切に扱われる作品に仕上げたいところです。

とはいうものの、しばらくは睨(にら)めっこです。ワンポイントをどこかに入れたい思いもあります。実は、本来は素朴につくりたいところですが、塗師(ぬし)の自己主張もしたいところです。

満足する仕上がりの暁には、即、あちらこちらにプレゼントしたくなります。その折のサインのようなものです。底に、螺鈿(らでん)のワンポイントも良さそうです。しばらくは、悩む時間を楽しむことになりそうです。

2012/04/12(木) 20:29

日中は暖かく青空です。久しぶりの快晴です。暖かいといっても6℃~7℃程度です。しかし、この気温は昨日までの雪を思うと別世界です。

今日は日曜日です。早朝から昼過ぎまで工房に浸ります。日課の作品づくりの下拵(したごしら)えです。プレナー(自動カンナ)をかけ、面取り(稜角の削除)をし、そして部材まですすみます。

簡単な作業ですが、不満足が付きまといます。刃の切れ味が落ちているのです。プレナーもスライド丸鋸(まるのこ)も刃が鈍くなり、切り口が醜くなっています。特にプレナーは刃が欠けて「縞(しま)」が出来ます。しかし、ほんの下拵えです。釈然としないものの、ま、妥協の範囲です。

今日は2種類の下拵えをします。数として700個~800個ほどです。この作品は毎日の納品に迫られているものです。ここ1~2年間で数万個は納入したようです。よくもまあ作ったものです。下拵え後は助手が腕を振います。上達著しいです。


そしてフィニッシュは工房内の大清掃と整頓です。この工房の落成式では18~19人が座っています。19畳間と結構広かったのです。しかし、今は足の踏み場に困るほどです。理由は増えた工具、材料、そして延々と増え続けるカンナ屑を入れた袋等です。

しかし、整理整頓することでカラリとした空間が生まれるのが不思議です。いつも掃除の後に味わう喜びのひとつです。


雪融けを促すために庭の雪に手をかけます。青空といっても早朝は冷えています。雪は角スコップでは刃が立たないほどカチンカチンの氷状態です。作業は午後です。

雪融けを促すためには単にスコップの跡を残すだけです。この時期の雪は空気に触れる面積を大きくするだけで急速に融けます。

話は飛びますが、このスコップはオランダ語の(schop ・schep)が語源のようです。英語ではショベル(shovel)のようですが、当地ではスコップが一般的です。先日のデレキ(デレッキ・dreg)同様、オランダ語であるところにハイカラさを感じます。

話はまた飛びますが、ハイカラは(high collar)のようです。和服とは異なる西洋の服装の襟(えり)に由来しています。これは英語です。またまた話は飛びますが、ワイシャツも面白いです。昔、お袋はYシャツと表現していたようです。


しかし、この意味が解りませんでした。諸説あるようですが、最も説得力のあるのが、ホワイトシャツ(white shirt)です。ホワイトシャツ⇒ホワイシャツ⇒ワイシャツとなったストーリーです。半世紀ほど昔、英語の先生から聞いた記憶があります。不思議な世界です。


庭の残雪は場所によって異なっています。土の見えているところもありますが、全体は1mほどの雪に覆われています。その融けたところに山葵(わさび)の緑が見えています。勿論?昨秋の名残です。新しい葉はこれから出ます。

山葵の葉は年2回出ると言われています。雪融け後に出た葉は夏に朽ち、秋に再び芽を出すと聞いたことがあります。庭の緑は秋に出た葉が雪の下で越冬したものです。やはり瑕(きず)がついています。しかし、久しぶりに見る緑です。感激します。

2012/04/08(日) 17:05

このところいつも同じことを書いています。「早春賦」です。今日は2番の『氷融け去り 葦はつのぐむ さては時ぞと 思うあやにく 今日も昨日も 雪の空 今日も昨日も 雪の空』です。

今朝は10cm以上の新たな積雪があります。まさしく、『今日も昨日も 雪の空』通りです。既に4月です。入学式の時期になってもまだ雪です。湿った重い雪です。

奥州最北端の除雪は掃除のようなものです。一般的に3月初めの卒業式の雪は季節がら許せるようです。しかし、4月の入学式は春です。綺麗に除雪しておく習わしがあります。今日の入学式では、校門付近の除雪に相当苦労したようです。


話は飛びますが、例年のこの頃の風物詩に、「トゲクリ蟹」があります。「蟹田」の地名があるほど昔の陸奥湾(むつわん)は蟹が豊富だったようです。40年も昔になりますが筆者も獲ったことがあります。友人のY氏に勧められてです。


Y氏から蟹獲りの道具や条件を伝授されます。『4つの道具が必要です。胴付き、カーバイト、バケツ、そしてデレッキです。』です。

胴付きは、胸まで一体となっているゴム長靴の大きいバージョンです。バケツは獲った蟹の入れ物です。そしてカーバイトは照明器具です。懐中電灯は不適のようです。カーバイトの灯りが漣(さざなみ)であっても水中に浸透するのに対して、普通の懐中電灯は海面で光が反射して海中が見えないのです。

当初解からなかったのはデレッキです。実は、これで蟹を掴(つか)むのです。素人には想像のつかない世界です。使い方は、左手をバケツの手に通し、同じ左手にカーバイトのカンテラを持ちます。そして右手にはデレッキです。

話は飛びますが、デレッキの語源はオランダ語の (dreg)のようです。奥州最北端から北海道にかけての言葉のようです。一般的には薪(まき)ストーブの火ばさみとして使っています。

更に、蟹獲りのタイミングがあります。干潮と夜が一致する弱風の折です。そして曇天です。蟹は月明かりで動き回るといわれています。動くことで身が痩せるのだそうです。説明を受ければ納得できそうです。

とはいうものの、初めは、海底の蟹を探すのは難しいものです。目が慣れないからか蟹が見えないのです。Y氏は、『蟹の形をイメージして、同じような形のものを探すのです。』と教えてくれます。

コツを理解すると、すぐにバケツ一杯になります。それを自宅に持ち帰って茹(ゆ)でます。水からだった筈です。真っ赤に変色します。30~40パイもあります。しかし、1~2ハイ食べるのが限界です。飽きてしまうのです。結局は余すことになります。


蟹は、春の今頃、産卵のために岸に寄って来るようです。場所は自宅から2~3分ほどの砂浜です。恵みの海でした。

しかし、20年ほど前、その場所にコンクリートの桟橋(さんばし)ができます。その後、蟹が寄っているのかは未確認です。

話は戻りますが、「早春賦」の『・・・思うあやにく・・・』は、「期待に反して」と訳すようです。まさしく、「思うあやにく」の春の雪です。しかし、昨日、見慣れない小鳥が電線に留っています。

春は確実に近づいているようです。また、待たされることで、春への思いは更に募ります。

2012/04/07(土) 13:58

気温と風雨が融雪の条件のようです。3~4日前は、その雨の伴う暖かい日です。また、風も手伝って雪融けが顕著に進みます。積雪の高さは突然、50cm~60cmも低くなります。人力の及ばない自然の能力を見せつけます。

しかし、昨日と一昨日は再びの雪です。当地では牡丹雪(ぼたんゆき)と言っている濡れ雪(ぬれゆき)です。そして今日も、です。家の前の川の水量は増しています。山からの雪融け水です。遅々としながらも春に移行していることを実感します。

昨朝、庭の一角に蕗の薹(ふきのとう)が咲いているのを見つけます。当地では別名バッケと呼んでいる、春、最も早く咲く花です。謂わば春を告げる花です。

しかし、実際の芽だしは晩秋です。冬の前にはあちらこちらに咲く準備をしているものです。梅も桜もサツキも、春の開花は、既に前の年に仕掛けされていることになります。

昔から、早春にこのバッケをいただく習慣があります。人もそうですが冬眠から覚めた熊も食するのだそうです。冬期間の消化器官を浄化するためのようです。春には苦味(にがみ)が必要なのだそうです。

「バッケ味噌」なんぞを拵(こしら)えることにします。簡単なレシピです。単に、味噌、砂糖を加えて煉(ね)りあげるだけです。熱いご飯にのせて春のほろ苦さを味わうのです。

このバッケの生えているのはほんの一か所だけです。条件は、日当たりが良く雪の踏み固められていないエリアです。他はまだ1m以上の積雪です。4月に入ったこの時期としては稀有(けう)の残雪量です。

話は飛びますが、蕗の薹(ふきのとう)は蕗の花のようです。一般的?にいただく「蕗」は葉の茎(くき)の部分です。その茎は、花の薹(とう)とは異なる場所の地表から出ます。しかし、20cmほどになったこの蕗の薹(ふきのとう)を蕗のように料理していただくと蕗よりも美味しいものです。


蕗独特の風味を保ちながらも食感に優れています。レシピはサッと湯がくだけです。それに鰹節をのせて酢醤油でいただくのが定番です。

そのサワサワ感が素晴らしいです。今年もまた山葵(ワサビ)の頃収穫するつもりでいます。裏山のどこにでも生えています。尤も、数本で満足するものです。

今日は日曜日です。工房の掃除の後、山積している課題に挑みます。

2012/04/01(日) 15:29

ラジヲは『春は名のみの甲子園5日目です。』と言っています。兵庫県西宮にある阪神甲子園球場も寒いようです。

今日もまた「早春賦」バージョンです。3番の『春と聞かねば 知らでありしを  聞けばせかるる 胸の思いを  いかにせよと この頃か  いかにせよと この頃か』です。

スカンジナビア半島はじめ、緯度の低い地区同様、奥州最北端では殊更に厳しい冬でした。その厳しさに比例して、春を待ち焦がれる思いもまた高まるようです。

初春を迎え、節分、立春を迎え、先週、春分の日を迎えています。更に、間もなく4月です。このように、春だ、春だ、と騒がれ続けなければ春であることは認識しなかったのです。

春だ、と聞いてしまった以上は、今が春であることを前提にしてしまいます。その結果、春への思いが更に募ってきます。実際には今日も雪です。「寝た子(寝ている子)を起こす」ようなものです。

歌詞の1フレーズに『如何にせよとの・・・』とあります。自信は無いものの、これを簡単に訳すと、『どうしろというのだ。』となるようです。然(さ)もありなん、の、この雪です。

この歌が発表されたのは1913年(大正2年)です。今からほぼ1世紀前のことです。デリケートな世界を表現しています。吉丸一昌の、見事なセンスにあらためて感激しているところです。

話は飛びますが、この言い回しは枕草子を思わせもします。「春はあけぼの・・・」です。これもまた見事です。春夏秋冬、どの部分も納得しますが、個人的には「冬」の表現が好きです。


『・・・寒い時に、火を急いで熾(おこ)し、あちらこちらの部屋に配って回る様子には冬に似つかわしい風情がある・・・』のあたりです。この表現は、半世紀以上昔の生活を体験したものにはよく理解できる筈゜の情景です。

しかし、今はタイマー付きの石油ストーブが多くなっているようです。清少納言が表現したかったニュアンスを理解できる子供は年々少なくなっている気がしています。

それにしてもよく降り続ける雪です。「如何にせよとのこの頃」です。「早春賦」には「立腹」のニュアンスを感じますが、今は既にその度合いを超えて呆れているところです。


今朝の7:00のテレビニュースにポトマック川の桜が紹介されています。昼の番組では加藤登紀子が「ポトマックの桜?」を歌っています。日本から移植して100年が経たことを祝う記念歌のようです。

ワシントンD.Cの緯度は宮城県と一致しています。しかし、冬の寒さは東京よりも厳しいのだそうです。それにもかかわらず既に満開です。・・・比較していることに少し恥ずかしさを感じています。


筆者がポトマック川を知ったのは1982年です。墜落した航空機事故の報道で知ります。真冬だったようです。川に落ちた遭難者をヘリコプターが救う場面があります。

ヘリコプターから降ろされる命綱は、丁度、芥川龍之介の「蜘の糸」を思わせています。しかし、それは「蜘(くも)の糸」のストーリーとは違っています。

年配者は若い命を優先させます。凍てつく川です。ヘリコプターが再び戻るときには、既に自身は姿を消していることを自覚しながら少女を優先させるのです。アメリカ人の気質よりも大人の男を見た場面でした。落涙しながら見たニュースでした。

その後、日本国内で事故の様子を取り上げてはいたものの、残念ながら、「蜘の糸」を紹介することはなかったようです。マスメディアに最も紹介していただきたかった場面だったのです。どうやら、感性の違いのようです。

2012/03/26(月) 17:59

1週間ほどで4月に入るというのに、今朝もタイヤショベルを駆っての除雪です。一頃(ひところ)目についていた小鳥も、ここ1~2週間、姿を隠しています。

『谷の鶯(うぐいす)』が『囀(さえず)る支度(したく)をしてはいても』、『まだそのときではない』とひっそりとしているのでしょう。やはり、『春は名前だけ』のようです。尤も、『氷が融け去り』、『葦(あし)が芽吹いても』、雪の空はあります。

数日前の暖かさがやや恨めしいです。春の気配を感じてしまったことが悩む結果になっています。『もう少し春になることを知らなければ良かったのに・・・』、と思ってもしまうのです。

唐突ですが、『逢ひみての後の心にくらぶればむかしはものをおもわざりけり』と似ていることに気づきます。権中納言(ごんちゅうなごん)の歌です。人生の摂理のようです。こうなったら、もう少し、『急(せ)かれる思い』を味わいながら春を待つだけのようです。


年度末です。さまざまな動きがあります。地元にあるA工房はこの3月いっぱいで閉じることになります。これまで「工房KUROOBI」の作品を展示販売させていただいています。やや複雑な心境です。

今日は、その展示作品を引き上げることにします。拙い作品のオンパレードです。しかし、それらの作品を手に取るとき不思議な愛着心が湧いてきます。おそらく、拙いながらも、それぞれの制作過程では心をこめてつくったからのようです。

その中に小型のテーブル(のようなもの)があります。これは、椅子、花台、パソコン台、踏み台等と、使う側の思いに従うものとして作ったのです。勿論?これまでの人生で出会ったことのない、完全オリジナルバージョンです。

ちょうど1年前に試作品としてつくったものです。殆(ほとん)どダブテール(鳩の尻尾)で接(は)ぎ、デザインは、扇(おおぎ)、鉞(まさかり)、桜等クラシカルバージョンです。一部に、友人からいただいた強化ガラスを使っています。

そのテーブルをお譲りすることにしました。実は、いつもA工房に立ち寄り、この作品を見続けている年配のご婦人がいたのだそうです。筆者自身は、顔も名前も存じ上げないのですが、聞くと、近くのホームにお住まいです。


その部屋がコンパクトなことから、お茶をいただく程度のテーブルとして重宝(ちょうほう)するのだそうです。勿論、for nothingのプレゼントです。制作者としては、手元に置いて愛用して下さるだけで「我が意を得たり」なのです。有難いことです。

繰り返しになりますが、A工房から運んだものをあらためて見ると、さまざまなジャンルであることに気づきます。桶、木杯、お盆、手鏡台、ティースプーン、ランプシェードそして雑多の玩具(おもちゃ)等です。

この節操の無いほどの多岐に及ぶ状態は、そのまま、その時々の心境と一致しているようでもあります。確かに、あれやこれやと、やりたいことが多すぎています。そして温存している未公開の課題も山積しているところです。

一個だけですが、「鶯笛(うぐいすぶえ)」が残っています。売れ残りです。言い方を変換すると、納入したものが1個を残して全て売れたことになります。よくもまあ売れたものです。

話は戻りますが、フッと、吉丸一昌がつくった早春賦(そうしゅんふ)」を思い出します。『谷のうぐいす唄は思へど・・・』です。筆者もまたひっそりと篭ってはいても、やがて啼く時の春を只管(ひたすら)待つことになります。


2012/03/25(日) 17:47