
ラジヲは『春は名のみの甲子園5日目です。』と言っています。兵庫県西宮にある阪神甲子園球場も寒いようです。
今日もまた「早春賦」バージョンです。3番の『春と聞かねば 知らでありしを 聞けばせかるる 胸の思いを いかにせよと この頃か いかにせよと この頃か』です。
スカンジナビア半島はじめ、緯度の低い地区同様、奥州最北端では殊更に厳しい冬でした。その厳しさに比例して、春を待ち焦がれる思いもまた高まるようです。
初春を迎え、節分、立春を迎え、先週、春分の日を迎えています。更に、間もなく4月です。このように、春だ、春だ、と騒がれ続けなければ春であることは認識しなかったのです。
春だ、と聞いてしまった以上は、今が春であることを前提にしてしまいます。その結果、春への思いが更に募ってきます。実際には今日も雪です。「寝た子(寝ている子)を起こす」ようなものです。
歌詞の1フレーズに『如何にせよとの・・・』とあります。自信は無いものの、これを簡単に訳すと、『どうしろというのだ。』となるようです。然(さ)もありなん、の、この雪です。
この歌が発表されたのは1913年(大正2年)です。今からほぼ1世紀前のことです。デリケートな世界を表現しています。吉丸一昌の、見事なセンスにあらためて感激しているところです。
話は飛びますが、この言い回しは枕草子を思わせもします。「春はあけぼの・・・」です。これもまた見事です。春夏秋冬、どの部分も納得しますが、個人的には「冬」の表現が好きです。

『・・・寒い時に、火を急いで熾(おこ)し、あちらこちらの部屋に配って回る様子には冬に似つかわしい風情がある・・・』のあたりです。この表現は、半世紀以上昔の生活を体験したものにはよく理解できる筈゜の情景です。
しかし、今はタイマー付きの石油ストーブが多くなっているようです。清少納言が表現したかったニュアンスを理解できる子供は年々少なくなっている気がしています。
それにしてもよく降り続ける雪です。「如何にせよとのこの頃」です。「早春賦」には「立腹」のニュアンスを感じますが、今は既にその度合いを超えて呆れているところです。
今朝の7:00のテレビニュースにポトマック川の桜が紹介されています。昼の番組では加藤登紀子が「ポトマックの桜?」を歌っています。日本から移植して100年が経たことを祝う記念歌のようです。
ワシントンD.Cの緯度は宮城県と一致しています。しかし、冬の寒さは東京よりも厳しいのだそうです。それにもかかわらず既に満開です。・・・比較していることに少し恥ずかしさを感じています。
筆者がポトマック川を知ったのは1982年です。墜落した航空機事故の報道で知ります。真冬だったようです。川に落ちた遭難者をヘリコプターが救う場面があります。
ヘリコプターから降ろされる命綱は、丁度、芥川龍之介の「蜘の糸」を思わせています。しかし、それは「蜘(くも)の糸」のストーリーとは違っています。
年配者は若い命を優先させます。凍てつく川です。ヘリコプターが再び戻るときには、既に自身は姿を消していることを自覚しながら少女を優先させるのです。アメリカ人の気質よりも大人の男を見た場面でした。落涙しながら見たニュースでした。
その後、日本国内で事故の様子を取り上げてはいたものの、残念ながら、「蜘の糸」を紹介することはなかったようです。マスメディアに最も紹介していただきたかった場面だったのです。どうやら、感性の違いのようです。