
1週間ほどで4月に入るというのに、今朝もタイヤショベルを駆っての除雪です。一頃(ひところ)目についていた小鳥も、ここ1~2週間、姿を隠しています。
『谷の鶯(うぐいす)』が『囀(さえず)る支度(したく)をしてはいても』、『まだそのときではない』とひっそりとしているのでしょう。やはり、『春は名前だけ』のようです。尤も、『氷が融け去り』、『葦(あし)が芽吹いても』、雪の空はあります。
数日前の暖かさがやや恨めしいです。春の気配を感じてしまったことが悩む結果になっています。『もう少し春になることを知らなければ良かったのに・・・』、と思ってもしまうのです。
唐突ですが、『逢ひみての後の心にくらぶればむかしはものをおもわざりけり』と似ていることに気づきます。権中納言(ごんちゅうなごん)の歌です。人生の摂理のようです。こうなったら、もう少し、『急(せ)かれる思い』を味わいながら春を待つだけのようです。

年度末です。さまざまな動きがあります。地元にあるA工房はこの3月いっぱいで閉じることになります。これまで「工房KUROOBI」の作品を展示販売させていただいています。やや複雑な心境です。
今日は、その展示作品を引き上げることにします。拙い作品のオンパレードです。しかし、それらの作品を手に取るとき不思議な愛着心が湧いてきます。おそらく、拙いながらも、それぞれの制作過程では心をこめてつくったからのようです。
その中に小型のテーブル(のようなもの)があります。これは、椅子、花台、パソコン台、踏み台等と、使う側の思いに従うものとして作ったのです。勿論?これまでの人生で出会ったことのない、完全オリジナルバージョンです。
ちょうど1年前に試作品としてつくったものです。殆(ほとん)どダブテール(鳩の尻尾)で接(は)ぎ、デザインは、扇(おおぎ)、鉞(まさかり)、桜等クラシカルバージョンです。一部に、友人からいただいた強化ガラスを使っています。
そのテーブルをお譲りすることにしました。実は、いつもA工房に立ち寄り、この作品を見続けている年配のご婦人がいたのだそうです。筆者自身は、顔も名前も存じ上げないのですが、聞くと、近くのホームにお住まいです。

その部屋がコンパクトなことから、お茶をいただく程度のテーブルとして重宝(ちょうほう)するのだそうです。勿論、for nothingのプレゼントです。制作者としては、手元に置いて愛用して下さるだけで「我が意を得たり」なのです。有難いことです。
繰り返しになりますが、A工房から運んだものをあらためて見ると、さまざまなジャンルであることに気づきます。桶、木杯、お盆、手鏡台、ティースプーン、ランプシェードそして雑多の玩具(おもちゃ)等です。
この節操の無いほどの多岐に及ぶ状態は、そのまま、その時々の心境と一致しているようでもあります。確かに、あれやこれやと、やりたいことが多すぎています。そして温存している未公開の課題も山積しているところです。
一個だけですが、「鶯笛(うぐいすぶえ)」が残っています。売れ残りです。言い方を変換すると、納入したものが1個を残して全て売れたことになります。よくもまあ売れたものです。
話は戻りますが、フッと、吉丸一昌がつくった早春賦(そうしゅんふ)」を思い出します。『谷のうぐいす唄は思へど・・・』です。筆者もまたひっそりと篭ってはいても、やがて啼く時の春を只管(ひたすら)待つことになります。