昨日は、小雨(こさめ)ながら長雨(ながあめ)でした。冬を越えた地面は埃(ほこり)っぽいです。それを洗い流す雨でした。
高校時分、『 花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに(小野小町)』の「身世」は「身の上」、「御代」で、「ながめ」は「眺(なが)める」の他に「長雨(ながあめ)」の意味があるときいたことがあります。
今日は一転して青空です。やや寒いものの、外での作業を楽しみます。まずは「椎茸(しいたけ)」の「コマ植え」の続きと「果樹苗」の鉢植えです。
「椎茸」の「コマ打ち」はインパクトドライバーで穴を穿(うが)ち、その穴に「コマ」を打ち込むだけの簡単な作業です。
しかし、続けると、インパクトドライバーで右手が痛くなります。それでも、「シイタケ」が「ムヤムヤ」発生することを想像すると続けたくなります。
他方、「果実の鉢」は駐車場の一角の「お休みどころ」に置きました。これで「果実の鉢」は、都合「7鉢」です。様々な「果実」を見ながら「老後」のコーヒーなんぞを楽しめそうです。
・・・ベラフォンテと番長
三島は「盾(たて)の番長」でした。彼の末筆は「豊穣(ほうじょう)の海」でした。「豊穣の海」は「春の雪」、「奔馬(ほんま)」、「暁の寺」、「天人伍衰(てんじんごすい)」の4巻です。
彼は、昭和45年(1970年)11月25日に切腹しました。しかし、自決のことは既に第二巻の「奔馬」で告げていました。明確な表現ではなかったものの、読む側には十分伝わるメッセージでした。
「奔馬」でしばしば繰り返していたのは『水平線を一望する海を見下ろす小高い丘がある。背には松林がひらけている。その松林を縫う松風を聞きながら座し、日輪が今まさに上がらんとする瞬間に切腹したい。』でした。
「奔馬」の主人公「勲」は、第一巻「春の雪」の主人公「松枝清顕」の生まれ変わりの設定でした。その「生き方」は、三島の憧れであったのでしょう。
その日(11月25日)は、お勤め先のY事務長にそのことを話していた最中でした。しかし、事務長は「豊穣の海」なんぞを読むタイプではなく、全く理解できなかったようでした。
その後、横尾忠則が詠じた歌が「週刊朝日」に載りました。『松ヶ枝に積む春の雪 かくも清顕(きよけ)き和魂 防衛(まもら)ず何の文化ぞや 盾の番長 阿頼耶識(あらやしき)』です。ベラフォンテ日本公演の2年後のことだったようです。歌には、「春の雪」の主人公の名前「松枝清顕(まつがえきよあき)」を織り込まれていました。
「阿頼耶識(あらやしき)」は、「人の存在の根底をなす意識」のようです。「春の雪」は、日本文化の根底にある「ふんわりとして暖かく感じられる雪」のようです。
「和魂(にぎみたま)」は、「柔和で精熟」した「霊魂」のようです。「防衛(まもら)ず何の文化ぞや」は、「国を守ること無しに、国の文化を論じることはナンセンスだ。」、「国が滅べば文化も滅ぶ。」と訳せるようでした。
当時、筆者は、毎年、京都に行っていました。その折々、「月修寺」について訊(き)き廻ったものです。「月修寺」は、最終巻「天人伍衰」で、語り部(かたりべ)「本多繁邦」が訪ねた「寺」です。
「月修寺」について、バスガイドさんはじめ多くの皆さんは、異口同音に、『そのようなお寺は聞いたことはありません。』と答えます。
しかし、いつもお世話になっているT君にお訊ねすると、『奈良にあるのでは。』と教えてくれたことがありました。或いは、「豊穣の海」だけの「月修寺」であったのかも知れません