早朝の4:00頃からの真っ青な空が終日続きます。今日お会いした3人の方が、異口同音に、『今日は、夜明けから青空でした。』、と言います。

いずれも高齢の皆さんです。日曜日も手伝ってか、やはり、皆さん、早起きです。曇り空や雨にも魅力はありますが、青空はactivity(能動的)になります。

やはり、一日中、動きっぱなしになります。朝食後、T宅にお邪魔します。苗探し、です。この春、なんだかんだ植えてはいますが、何となく落ち着ないのです。それは、この時期に仕掛けをしておかなければ、来年の春まで待つことになるからです。植えるスペースが無い、のにです。

シュンギク、ミズナ、アブラナ、キヌサヤ、そして、ソラマメをいただいてきます。例によって、庭の下草として使います。実は、我が家の狭庭には、花木はともかく、いわゆる、花の花は似合わないようです。

その点、野菜の花はマッチング(matching)します。丁度、ソラマメが薄紫の花をつけています。早晩、黒い斑はできますが、しかし、花の花よりも落ち着くようです。勿論、これらの多くは、毎日の食用にもなります。次々にでる芽を摘んでいただくことになります。

T氏から、『ソラマメの収穫期はわかりますか。』と聞かれます。当然、不調法の世界です。すると、『空に向かっていた鞘(さや)が、水平になった頃です。』と教えてくれます。空に向かって鞘がつくことから「空豆」なのだそうです。「目からうろこ」です。

数千年の昔では、地中海地方の主食であったのだそうです。浅学に赤面するとともに、恐縮すること頻り(しきり)です。

ツツジが盛りです。我が家では、朱、濃い赤、薄紫、白ですが、T宅ではその他に紫、黄、そして微妙に異なる赤系統も咲き乱れています。ボタン(牡丹)のように大きいシャクナゲ(石楠花)も咲き始めています。


午後は木工活動です。5月の連休前後と同様、6月もハードになるようです。昨日お出でになったK社長が『大丈夫でしょ。』と心配していました。取り敢えず、1000個ほどの下拵え(したごしらえ)をします。

次は「額(がく)づくり」です。1ヶ月ほど前に、『急ぐものではない。』、と依頼主に言われてはいますが、既に1年の1/12は経過しています。春だ、春だ、と浮かれてはいても、あと半年で冬になるのです。

アバウト(about)な加工を終えたのはだいぶ前です。一歩前進することにします。まず、微調整です。実は、コーナーの「留め接ぎ」が不正確です。スライド丸鋸(まるのこ)の定規が狂っていたからです。

僅(わず)か1°の狂いでも、幅広の両者を接(は)ぐときには頓珍漢になります。話は飛びますが、昔、中学校のN先生から、「平行線の定義」を教わります。

『この世では交わらない2線』、だったようです。即ち、「あの世で交わる直線」ということになりそうです。非常に文学的だったことを記憶しています。その理屈では、この1°の差は、「この世のスタート地点では一致していますが、あの世では巡り逢うことのない直線」、ということになりそうです。

次は、「溝掘り」です。話は飛びますが、額の種類は、その用途によって様々あるようです。今回は簡単な「賞状額」のようなものです。素材は、枠(わく・フレーム)がエンジュ(槐)、ダストカバー(dust cover)と裏板をアクリルにします。mat(マット)の素材はこれから考えることになります。


結局、溝の深さを、ダストカバーと裏板の厚さの合計の5mmにします。この加工のツール(tool)は、一般的にはルーターのようですが、「卓上丸鋸」にします。何とかそれらしくなります。

そして、ダストカバーと裏板の加工です。まず、それぞれの厚さの1/3ほどに溝を掘ります。次に、その創(きず)に沿って台の縁に置き、上からバンと叩(たた)いてやります。実は、アクリルは意外に硬いものです。どっちの方向に割れるかが不安です。少しの勇気を必要とする作業です。

それ以前に、切り取る寸法に気を使います。昔は気を使う工程ではなかったものです。勿論、失敗の許されない世界です。実は、このところ、瞬間的な記憶能力の衰えを自覚してます。今回もメジャー(measure)で3~4回は計測します。

しかし、結果的には10mmを読み違えています。愕然とします。肉体的には頑健ですが、精神的な衰えは確実に来ていることを見せつけられます。既に、そのことは自覚していたとはいえ、困ったものです。

当然、予(あらかじ)め、このことは予測済みです。事前に、大きい糊代(のりしろ)を設定しています。悲しいかな、「転ばぬ先の杖(つえ)」です。結果的には、問題は無い路を歩んだことになります。

仮組してみると、まあまあ、のようです。今日の作業はここまでです。楽しいことは、できるだけ長続きをさせたいところです。しかし、これからが細かい加工です。センスの問われる世界です。面白味が段々に増してくるのもまた嬉しいです。

2012/05/27(日) 19:31

夜半の雨が上がり、次第に明るい青空に変化します。雨上がりの庭は輝いています。早朝から園芸活動です。まず、苗の植え替えです。実は、性懲り(しょうこり)もなく苗を求めています。植えるスペースが無いのに、です。

今日は、イチゴ、ナス、ピーマン等を植えます。等、というは、野菜には違いないのですが、名前を失念してしまったのです。困ったものです。これらは、収穫以上に緑を楽しむためのものです。鉢植えにします。


作業中、K社長がお見えになります。『実生(みしょう)が出ていますよ。』と教えてくれます。実生というのは、落ちた種から自然に発芽したものです。

殆どはカエデ(楓)です。この時期、無数に出ます。多くは引き抜くことになります。しかし、「タツサワ(立沢)」は別です。実は、ここ数十年、「タツサワ(立沢)」の実生は発見できないでいます。

葉の色は白っぽい薄緑です。そして葉脈は明確です。K社長から教えられて探索するとあちらこちらに見えます。長年期待していた実生です。

そのままにしておくと朽ちてしまいます。親木の葉で日当たりがよくないからのようです。数本を移植することにします。小さい鉢を使うことにします。これから、その成長を見守ることになります。またまた楽しみが増えます。




オダマキ(苧環)が咲いています。これも実生から育ったものです。近くの庭から飛んできたものです。八角が咲きそうです。花の場所は、葉の下の、(くき)の途中です。房状です。

朱のツツジの後に赤が咲いています。薄紫が咲き初めています。
2012/05/26(土) 11:43

昨晩、同期の集まりがあります。数十年ぶりにお会いする方もいます。昔の風貌は大分変化しています。しかし、話をした瞬間に50年前の精神年齢に戻ります。

当時、速記に熱中していたK君、エレキギターに凝っていたT君、綺麗な文字を書いていたO君、自称?拳法達人のH君、勉強している様子がないのに成績優秀であったS君等です。今は、議員さんであっても社長さんであっても皆、呼び捨てです。

概して、皆さんはスリムになっています。聞くと、心臓に機器を入れている者、胃をとった者、脳卒中を克服した者等、多くがさまざまな過去を背負っています。

面白いのは、皆さんがシャツをたくし上げて、その手術の跡を見せてくれることです。自慢しているのです。

今年で66歳です。体のあちらこちらが故障することは自然なのかも知れません。誰かが、亡くなった皆さんの名簿をつくってきています。数えると44名です。

それらの名前を見ると、それぞれの顔が浮かんでできます。その瞬間、生と死との差異が曖昧(あいまい)になってきます。


誰かが、『俺はお前らよりも先には逝(い)かない。先に逝くとお前らに悪口を言われそうだ。1分でも後に逝く。』、と言います。同期の特権は、無防備に好きなことを言い合えることのようです。

昨日、中学校同期のK君が逝きます。月曜日がお通夜です。いつものように、無防備なクラス会になりそうです。

2012/05/26(土) 11:37

早朝の庭は濡れています。露のようです。薄曇りです。日中は20℃以上になったようです。暖かくなりました。首都圏では26℃ほどにもなっているようです。しかし、奥州最北端の朝晩は、依然として石油ストーブに頼っています。

昨日、「寺山修司忌」に参加します。カラマツ(落葉松)、ハンノキ(榛の木)の古木の生い茂る庭で行われます。M市の寺山記念館館長のS氏をはじめ、学生、舞踏家のF氏がステージを担当します。

テーマは「寺山オマージュ」です。オマージュは(hommage)フランス語のようです。直訳すると「寺山賛辞」、ということになるようです。寺山が作品に残したフレーズを使い、5人の「掛け合い」の朗読で脚本がつくられています。15分ほどのステージです。楽しませてくれます。


寺山の作風の見方にはさまざまあるようです。筆者は「ノスタルジア(nostalgia)」と理解しています。しかし、実際には「自嘲(じちょう)」として表現しています。どうしようもない故郷と表現することによって、どうしようもない望郷の念を表していることになります。

『マッチ擦(す)るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや』、そして、『村境の春や錆びたる捨て車輪ふるさとまとめて花一匁(はないちもんめ)』はその代表作に思えます。

『命をかけるだけの祖国はどこにあるのか。』、の陰に『人一倍の愛国心』を訴えていることが窺えます。また、『一把(いっぱ)ひとからげの故郷にしても、ほんの僅(わず)かな価値だ。』と自嘲(じちょう)することで、『それでも、他に代えがたい故郷である。』と歌っていることを感じるのです。

上京したとき、生まれ育った奥州最北端と花の都にそれほど大きい違いを感じたことになります。そのときのカルチャーショック(Culture shock)を詩にしたと考えられます。しかし、この見方は、これまで他と比較することのない筆者個人のものです。


話は飛びますが、花の都からお出でになった方が、その第一印象として、『ここは国の恩恵を受けていない町だ。』と漏らしたことがあります。絶対的な価値は、他と比較することに依存するものではないのですが、比較することで自身がクリアーに浮かび上がってくるのです。

今日のオマージュには『マッチ擦る・・・』も、『故郷まとめて・・・』も登場しませんでした。しかし、今日の舞台の最後のセリフ(台詞)が『憎いほど好きだ。』です。それは、S氏の独白のようでした。彼が持っている寺山像だったことになります。

2012/05/24(木) 18:56

眩(まぶ)しいほどの新緑を迎えています。よく見ると、緑には濃淡があります。そして、赤い葉も混じっています。さまざまな濃淡の緑や赤のコントラストが新緑の定義なのかも知れません。

緑の傍(そば)に赤をあしらうことで、更に緑が引き立つ、ということに気づいたのは40年ほども前のことです。昔、『淡い新緑は、松の濃い緑があって美しく映ります。』と教えてくれたのは、版画家のY・S氏です。

また、『単調な緑だけの庭には圧迫感があります。緑の庭には赤をあしらいます。赤い楓がバランスを保ってくれます。』、と指摘したのは、今は亡きY女史です。来年が13回忌だった筈です。

狭庭に、その赤い葉の紅葉(もみじ)が咲きます。楓(かえで)の花は明確ではないのですが、葉を開いただけで咲いたようなのです。写真はその中のベニシタレ(紅枝垂紅葉)です。

昼前、S町にお邪魔します。「ツツジ祭り」の開催中です。その会場は城跡近辺のようですが、実際には、あちらこちらに咲いています。

話は飛びますが、ツツジの一般的な育て方は、如何に小さく育てるか、にあるようです。その意味では邪道のようです。しかし、余りにも大きい塊(かたまり)で咲いています。そして下草はフキ(蕗)です。伸びやかに映ります。個人の庭でした。

他方、草花も咲いています。「エビネ(海老根)」です。この名前は、根がエビ(海老)に似ていることから命名されたようです。ラン(蘭)特有に、下に向かって花が咲きます。このエビネは、花がサル(猿)の顔に見えることから「サルメンエビネ」と呼ばれています。


木々に比べると、ひっそりとして静かです。しかし、よく見ると見事です。人と同じく、どの花にも独自性のあることに気づかせてくれます。


明日は「修司忌」です。『マッチ擦(す)るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや』の寺山です。そして、『・・・故郷まとめて花一匁』と詠った寺山です。

文学のK女史が研究している寺山です。会うたびに熱く語ってくださいます。楽しみにしていた行事です。




2012/05/22(火) 21:09

朝食前、K社長がお見えになります。『ありますか。もう歳です。今後、見る機会はないでしょう。』、『やっと探しました。』と双眼鏡のようなものを持ってきます。「日食」です。

K社長は、この双眼鏡を、昨日、ドラッグストア-で見つけたそうです。2000円くらいだったそうです。太陽を見る仕掛けが無いのでは、と心配して持ってきてくださったのです。有難いことです。

しかし、我が家では、既に、数日前に求めています。300円ほどだったようです。本屋で見つけたものです。紙がフレームの普通のメガネ(眼鏡)の形です。立派な双眼鏡です。

話は飛びますが、「双」の2つに対して、「隻」の意味はsingle(1つ)です。半世紀以上前の日食では、透明なガラス(硝子)に蝋燭(ろうそく)の油煙をかけて観察した記憶があります。それを覗(のぞ)く際、眼の一方を閉じてウインク状態にしたようです。云わば、「隻眼鏡」、ということになります。

話は飛びますが、昔の日食は、そのようなもので見るのが一般的でした。学校の先生も勧めてくれるツールです。ところが、今の時代では良くないのだそうです。数日前のテレビで初めて知ります。

複雑な思いです。同じようなことが他にもあります。実は、あの頃の筆者はいつも風邪を引いていました。クシャミ、洟水(はなみず)は良いのですが、いつも頭がぼんやりし、難しいことを考えることが大儀でした。今になってみるとあれが「花粉症」であったことになります。


実際には昔から存在していたものです。しかし、半世紀前の医学界には存在していなかったのです。

また、昔の一般的な常識では、運動の際の水分の補給は厳禁でした。骨折や打ち身は徹底的に冷やしたものです。僅か半世紀後の今は逆になっています。煤(すす)の単(隻)眼鏡どころではない文明だったことになります。

またまた話は飛びますが、この「隻(せき)」は伊達正宗や山本堪助の「隻眼の竜」で馴染みがあります。尤も、伊達正宗の場合は「独眼竜」が一般的のようです。今は死語に近くなった「隻眼鏡」です。

更に話は飛びますが、山本堪助の「隻眼の竜」は「横山光輝」の作品です。「伊賀の影丸」や「忍者武芸帳」を書きました。その後?出たのが白戸三平の「カムイ外伝」、「サスケ」等です。

半世紀以上前に熟読したジャンルです。登場人物それぞれに得意技があります。因みに、「伊賀の影丸」は「木の葉隠れの術」、そしてカムイ外伝では「岩石なだれ渡り」と「変移抜刀霞切り(へんいばっとうかすみぎり)」です。

あの頃、本気になって練習を試みたのは「木の葉隠れの術」です。しかし、物語では見事に姿が消えるのですが、実際には無理です。とても出来る次元のものではないことを即、悟ります。あとで解かったことですが、この木の葉には痺(しび)れ薬が使われていたのだそうです。


「岩石なだれ渡り」は怖くて真似が出来ませんでした。しかし、これが最も現実的に思えました。どうやらガリレオの「落体の法則」に関係がありそうです。

要は、落下中の岩を蹴って生まれる反作用のエネルギーで、他の落下している岩に飛び移ることが可能かどうか、です。考え続けてきた命題です。

「変移抜刀霞切り」の理屈は、大刀に対するとき、小刀でも問題は無い。刀の長さの差は自分の動きでカバーできる。というものだったようです。非現実的な理論とも思いましたが試す価値はありました。練習した記憶があります。しかし、拙(つたな)い運動神経が手伝ってか、間もなく挫折します。

今日の「日食」でそのようなことを思い出しています。何十年経っても、人の精神構造には然程の変化は無いようです。

朝、その双眼鏡で、綺麗に欠ける太陽を見ます。太陽の右方から侵入した月が左方に通り過ぎていきます。しかし、40分もすると双眼鏡では見えなくなります。雲が出てきたのです。肉眼だけで見ることができます。やがて厚い雲に遮(さえぎ)られます。


種類の異なるツツジが時間差で咲き始めています。最初はピンク色、次に茜色(あかねいろ)、そして朱色です。

2012/05/21(月) 19:47