早朝の庭は濡れています。露のようです。薄曇りです。日中は20℃以上になったようです。暖かくなりました。首都圏では26℃ほどにもなっているようです。しかし、奥州最北端の朝晩は、依然として石油ストーブに頼っています。
昨日、「寺山修司忌」に参加します。カラマツ(落葉松)、ハンノキ(榛の木)の古木の生い茂る庭で行われます。M市の寺山記念館館長のS氏をはじめ、学生、舞踏家のF氏がステージを担当します。
テーマは「寺山オマージュ」です。オマージュは(hommage)フランス語のようです。直訳すると「寺山賛辞」、ということになるようです。寺山が作品に残したフレーズを使い、5人の「掛け合い」の朗読で脚本がつくられています。15分ほどのステージです。楽しませてくれます。
寺山の作風の見方にはさまざまあるようです。筆者は「ノスタルジア(nostalgia)」と理解しています。しかし、実際には「自嘲(じちょう)」として表現しています。どうしようもない故郷と表現することによって、どうしようもない望郷の念を表していることになります。
『マッチ擦(す)るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや』、そして、『村境の春や錆びたる捨て車輪ふるさとまとめて花一匁(はないちもんめ)』はその代表作に思えます。
『命をかけるだけの祖国はどこにあるのか。』、の陰に『人一倍の愛国心』を訴えていることが窺えます。また、『一把(いっぱ)ひとからげの故郷にしても、ほんの僅(わず)かな価値だ。』と自嘲(じちょう)することで、『それでも、他に代えがたい故郷である。』と歌っていることを感じるのです。
上京したとき、生まれ育った奥州最北端と花の都にそれほど大きい違いを感じたことになります。そのときのカルチャーショック(Culture shock)を詩にしたと考えられます。しかし、この見方は、これまで他と比較することのない筆者個人のものです。
話は飛びますが、花の都からお出でになった方が、その第一印象として、『ここは国の恩恵を受けていない町だ。』と漏らしたことがあります。絶対的な価値は、他と比較することに依存するものではないのですが、比較することで自身がクリアーに浮かび上がってくるのです。
今日のオマージュには『マッチ擦る・・・』も、『故郷まとめて・・・』も登場しませんでした。しかし、今日の舞台の最後のセリフ(台詞)が『憎いほど好きだ。』です。それは、S氏の独白のようでした。彼が持っている寺山像だったことになります。