
昨日、今日の気温は高く、日中は9℃から10℃にもなっています。つい数日前の氷点前後とは一変しています。歓迎するところです。
反面、憂いもあります。屋根雪の落下です。他に不調法があれば恐縮します。気を使うこと頻り(しきり)です。
また、今日は地元のスキー場で小学校の最後の大会が予定されています。雨の中の大会は残念です。最後、というのは、少子化により、この春、閉校になることからです。
かつて、このスキー場で猪谷千春が、そして富士山直滑降の三浦雄一郎一家が練習しました。猪谷千春は、今から60年近くも前の、日本人としてのはじめての冬季五輪メダリストです。
このスキー場は、小学校の裏山にあり、ヒュッテの管理や秋の芝刈りはそのPTAの皆さんのボランティアに頼っています。廃校とともに、ヒュッテの行く末も思いやられます。時代の流れなのでしょう。
昨日、Rotary の会合で講演することになりました。どのようなテーマでも良い、ということでしたが、相手は、地元企業の社長さんばかりです。報道関係者もいます。少し迷います。考えた末、一般的には取り上げられない、そして、身近なものを話題にします。
メインテーマを「サントレ」にし、それに肉付けすることにします。「サントレ」は「science training」の略です。幼児教育のためのプログラムです。首都圏では知られていますが、当県ではポピュラーではなく、唯一導入しているのはA・Y学園の6園の幼稚園保育園だけです。
この「サントレ」の、いくつかの主題の中に、「漢字混じりの文章に触れさせる。」というものがあります。物語、諺(ことわざ)、俳句等を漢字混じりの文章で紹介することで、美しい言葉、優しい言葉に触れさせ、合わせて語彙量を高める教育です。
この「サントレ」を受けた3才の子供が、父親に連れられて海辺を散歩したとき、子供が海をじっと見て、『のたりのたりかな、ですね。』と父親に話しかけたそうです。それを聞いた父親は、『この子は天才ではないか。』とびっくりしたそうです。

子供は幼稚園で読んだ、与謝蕪村の『春の海ひねもすのたりのたりかな』を思い出しただけだったのでしょう。「サントレ」を受けていない子供には考えられない現象です。
幼少期の子供の情報吸収力は大きく、それも、「無努力・無負担」に習得する特別な能力を持っているといわれています。「強力に勉めて」する「勉強」ではなく、1日20分ほどの「お話」の中で、眼に漢字を触れさせる、トレーニングです。
先日、この「サントレ」を取り入れているK幼稚園にお邪魔して参観してきました。先生が漢字を書いた7枚のカードを隠し持っています。その漢字は、その前にお話しした「きつねの嫁入り」に出ていた文字です。
先生が、そっと「嫁入り」のカードを出します。すると、子供たちは大きな声で『よめいり』と答えます。大人でも躊躇する「花婿」も、3才児が声をそろえて『はなむこ』と叫びます。また、子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」も読み上げます。驚くばかりです。
翻って、筆者自身のことを思い出します。小学校に入ってはじめて習った言葉は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」だったようです。間もなく「ひらがな」になり、山や川、上、下の漢字が入るようになったようです。
話しは飛びますが、二月に入りました。旧暦の二月は「如月」と表現するようです。筆者がこの読みを知ったのは中学校に入ってからのようです。月には冷たいイメージがありますが、読み方を知らない人が「如月」を「きさらぎ」と読むには無理なのです。
またまた話は飛びますが、この「きさらぎ」は、二月は寒いことから、衣を着重ねる「衣更着」に由来したとされています。奥深い日本の文化です。
話しは戻りますが、Rotary の講演では、この「サントレ」をテーマに、普段、何げなく使っている言葉の中から、いくつかのサンプルを取り上げることにしました。
まず、「とまるもゆくも かぎりとて かたみにおもふ ちよろづの こころのはしを ひとことに さきくとばかり うとうなり。」です。今の小中学校では歌われなくなったようですが、還暦を過ぎた世代にとっては誰もが歌える思い出深い歌です。「蛍の光」の2番です。
歌い慣れてはいるものの、その意味は何となく曖昧(あいまい)です。その理由は、単に言葉だけで知っているからのようです。また、昔、この歌を兄が歌っているのを聞いたことがあります。『台湾の果ても樺太も・・・』です。その頃から混乱する羽目に陥ります。
本来この歌は学校の卒業式で歌では無かったようです。しかし、学校で歌うことを前提にすれば、「とまるもゆくも」は、「止まるも行くも」で、「学校に止まるもの(在校生)も、学校を去るもの(卒業生)も」と訳せるようです。
「かたみにおもうちよろずの」は、「互に思ふ千萬(万)の」で、「お互いの胸に去来するたくさんの思い出」となりそうです。そして「さきく」は「幸く」で、「幸せでいてください」のようです。

そして、講演の中に、美しい表現も入れることにします。武島羽衣(たけしま はごろも)作詞、作曲者瀧廉太郎の「花」の2番です。
「みずやあけぼのつゆあびてわれにものいうさくらぎを」、「みずやゆうぐれてをのべてわれさしまねくあおやぎを」です。誰もが、何回となく歌ったことのある歌です。しかし、「ひらがな」だけでは訳し難い文章です。
これを漢字混じりにすると、「見ずや 曙 露浴びて我に物言う桜木を」、「見ずや 夕暮れ手を伸べて我差し招く青柳を」となるようです。
これを訳すと、「明け方、朝露を受けてしっとり濡れた桜の木が、『どうぞ私を見てくださいよ』と私に話しかけているのを見ませんでしたか。」、「うすぼんやりに暮れかかる春の宵、青々と葉をつけた柳が私を手招きしているのを見ませんでしたか。」となるようです。無論、自己流の訳です。
感性の迸(ほとばし)る見事な文章です。そこには、今の日本が忘れかけている美しい文化が潜んでいるようです。その意味を理解しないで「花」を歌うことは非常に勿体ないようです。
吉丸 一昌がつくった「早春賦」ではありませんが、「渓(たに)の鶯(うぐいす)」は「ホーホケキョ」の歌を思っているものの、まだ春ではないことを知っていて、ひっそりとしています。「青柳」に手招きされることを今から待ちわびています。
講演の終盤で「工房活動」についても触れます。拙(つたな)いながらも、細腕でひっそりと世界に発信している様子をご紹介します。作り置きの「名刺入れ」、「ポケットティッシュケース」、「玩具」をプレゼントします。勿論、地元旅館用の「箸置き」や「コースター(壁掛け)」等についてもご紹介します。
昨晩、その講演を聞いた方から電話があります。王手企業のK社長さんです。『感激しました。今日のテーマを本にしていたら譲ってください。』というものです。勿論、普段感じていることをメモにしている程度です。別の機会をお待ちしていただくことになります。