今日6月21日は「夏至」だそうです。騙(だま)された気になります。つい先日、厳冬をやり過ごしたばかりです。それが、明日から冬に向かうなんぞを受け入れる余地は無いのです。しかし、「露草」は、そのような屁理屈とは無縁に、駐車場際の畑にまでワンサかと侵略して来ています。誰に教わることなく、生まれる時も咲く時も知っているのでしょう。
俳句的には、「露草(つゆくさ)」は「秋の季語」のようです。「ホタルグサ(蛍草)」、「アオバナ(青花)」、「ボウシバナ(帽子花)」、「ツキクサ(月草)」、・・・等とも呼ばれ、昔から親しまれてきた季節の花です。潔(いさぎよ)い花の色さが逸品です。しかし、やがて早晩、その「紺碧の花」もまた消え去ります。
この自然の移り変わりは、抗(あらが)うことのできない摂理(せつり)のようです。「石坂まさお」が書いた「必殺シリーズ」の主題歌?「冬の花」の、『春と思えば夏が来て 夏とおもえば秋が来て 所詮(しょせん)最後は寒い冬』の通りです。
そして、昔、何かの詩集で読んだことのある『Why doesn't happiness last foreve.Forever isn't bit too long.(幸せっちゅうもんは、どうしていつまでも続かないもんなのか。永遠といったって、一瞬でしかないのに???)』と同じ世界のようです。
今日も「"あけぼの"後」から「第二工作室(駐車場に設置の物置)」に籠ります。実は、3:00前から起床しているのですが、まだ暗い中では作業ができないのです。それは、「第二工作室」には「電線」が引かれていていなく、外が明るくなるのを待たなければならないのです。
今日の課題は、昨日の引き続いての「看板の手直し」です。当初、依頼人のS氏でさえ、「何が書かれているか」も解らない、原稿すらも覚束(おぼつか)ないものでした。その条件下で、なんとか「それらしい原稿」に辿(たど)りついたところです。
文字を「黒の色漆(いろうるし)」で書くことにしました。因みに、「色漆」というのは、「生漆(きうるし)」に「顔料(がんりょう)」を混ぜ込んだもののようです。
それを、何回も「重ね塗り」することで、文字部分を「盛り上げよう」とする魂胆です。暫(しばら)くの間は、「書いて乾かす」の作業の繰り返しになります。
やがて、ある程度の妥協後、「下地」の再生段階に入ります。何せ、半世紀以上も風雨に晒(さら)されていた強者(つわもの)です。表面の多くは「綿化(わたか)」しています。そして、汚れてもいます。しかし、依頼を受けた以上、投げ出すことのできない課題です。結局、それぞれの工程で、「ある程度」の妥協に甘んじることになります。ご勘弁願うことになりそうです。
ミニトマトが、まだ青いながらも実をつけています。瓢箪(ひょうたん)が健康そうに育っています。将来、「マラカス(打楽器)」になるものです。種蒔きで育てたシソが無数に出ています。将来、「ウメボシ(梅干し)」に用いるものです。



