百人一首に、『秋来(あきき)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる(秋が来たことは、日差しの力、樹木や草花の緑等の外観からは解りませんが、ソヨリと吹く一瞬の風に感じることができます。???)』があります。

WEBには次の英訳の例も載っていました、「I can't find any signs of autumn, but I was so surprised at the sound of the wind. Autumn has come in the air!」なのだそうです。

歌の詞書(ことばがき)には「秋立つ日詠める」とあります。今年の立秋は8月7日でした。奥州最北端では、「ねぶた」の最終日の「七日日(なぬかび)」の頃です。

話しは飛びますが、以前はこの日に、優秀作品の「ねぶた」の「海上運行」と「花火大会」が行われていました。その「海上運行」に何度も参加していました。

その時、やはり、「爽(さわ)やか」というか、「ヒヤリ」と感じる風があったことを記憶しています。奥州最北端の秋は、昔から、「ねぶた」の最終日とともにやってきます。

北の今は、晴天が長く続いた後の、引っ切り無しに続く雨です。尤も、今は「立秋」の風ではなく、本格的な「秋霖(しゅうりん)」です。雨とともに気温はガクンと低くなり、石油ストーブと扇風機の併用を強いられています。

「秋野菜の種」を蒔(ま)いた直後の「秋霖」です。或いは、「良し」とすべきなのかも知れません。


高校同期会のお誘いがありました。夜の会合です。参加は無理のようです。

顕著に、日没が早くなり、日の出が遅くなりました。それにつれ起床時刻もまた遅くなりました。

O君の訃報が届きました。また一人、です。

夏分には見えなかった「蚊(か)」が多くなりました。


(朝刊の短歌欄から・・・津軽のご年配のA.Sさん)

複雑に情景からむ過去といま袋小路に迷ったままで
2024/10/04(金) 07:13
いつの間にか、朝夕は「ひんやり」としています。流石(さすが)に10月です。つい、平安中期の歌人、能因法師の、『都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関(春に都を旅立ったが、白河(福島)に着いたら、もう、秋になっていた。??)』を思い出します。

そして、つい、つまらない、計算をしようとします。人が歩く速度は分速(1分間で歩く距離)80mといわれています。時速では4800m(約5km)のようです。1日8時間歩くとすれば、その距離は40kmとなりそうです。そして、京都福島間の距離は800kmです。

それらを前提にして京都福島間の移動時間を計算しようとしてみます。結論は、20日を要することになりそうです。それは、約一ヶ月弱です。しかし、一ヶ月弱といえば、霞の春4月1日に出発したとしても、白河着は4月中の筈です。「秋風が吹く」には早過ぎるようです。仮に、1日の行脚(あんぎゃ)時間が8時間ではなく、2時間としても、4月1日の出発で白河着は6月中になりそうです。

或いは、能因法師の歩くペースは、一日1時間ほどであったのかも知れません。歌をつくりながらの優雅な「遊山」だったことになります。尤も、「春霞と秋風」の間が、単に物理的距離ではなく、精神的的、イメージ距離であったことも考えられます。・・・少し、クラクラしてきました。

何(いず)れにしても、つい先般、春を迎えたばかりと思っていました。そして、今は、夏の最中(さなか)のl筈だったのです。それが、いつの間にか「秋の声」が聞こえてきます。まさしく、 「必殺」の、『春とおもえば 夏が来て夏とおもえば 秋が来て所詮(しょせん)最後は 寒い冬』です。


この残暑と、雨の予報に触発され、昨日、「秋野菜?の仕掛け」に挑みます。因みに、蒔いた種と生産地は、「小蕪(こかぶ)(イタリア産)」、「雪白体菜(ゆきしろたいさい)(アメリカ産)」、「サラダ蕪(日本産)」、「北京紅芯大根(イタリア産)」、「チンゲン菜(ニュージランド産)」等です。

「植え方」は、袋裏の解説書に従い、「サラダかぶ」、「北京紅芯大根」、「雪白体菜」は、数十センチの「株間」をとりました。そして、「小かぶ」、「チンゲン菜」、「雪白体菜」等は「筋蒔(すじまき)」にします。

しかし、今は暑いものの、北の当地では、間もなく除雪の時期です。収穫まで見届けることはできないかも知れません。それでも、これからの毎日、生長を見守る機会に恵まれました。そして、予報どおり、今はシトシトとした雨です。良き哉、です。


春に「挿し木」をした菊が花をつけています。しかし、思惑とは違う色の「白色」でした。少し困っています。とはいうものの、結果を待望して植えた菊です。有効活用を考えているところです。
2024/10/02(水) 17:54
ここ数日、能動的(activity)になっています。おそらく、暑さの小康状況で体が復旧したからのようです。つい、あれこれの作業を楽しもうとします。

まず、冬支度です。具体的には越冬用の「薪(まき)」の整理です。春、友人のO氏からいただいた膨大な量の薪が、まだ駐車場の一角に積んだままになっていたのです。

移動には「タイヤショベル」を使います。ところが、そのタイヤが「パンク」しています。即、市内の専門店にお願いして対処してもらいます。流石にプロです。小一時間で解決し、見事、「薪運びの完了」に至ります。

次は、「畑」の整理です。この「畑」は駐車場の周囲の、ほんの「猫の額」程度のエリアです。しかし、その「作」は、例年、無限に近いものです。

「きゅうり(胡瓜)」は、「生(なま)」で食べきれないものは塩漬けします。その量は、ひと夏で「4斗樽(しとだる) 2樽」にもなります。ミニトマトは一日200個ほど収穫量です。この殆(ほとん)どは、ご近所にお分けします。

しかし、その「畑」も、季節を知ってか、枯れ始めています。冬の前に、それらの「手当」が必要です。具体的な作業は、枝を這(は)わせる「網(あみ)」や、その「網」を固定している「ポール」や「杭(くい)」の取り外し等です。


次は「イプ (ひょうたん・IPU)」づくりの続きです。「バイオひょうたんごっこ」の挿入は9日ほど前にしています。今日は、中身の「種や綿」等の取り出しです。

「種」や「綿(わた)」の取り出しは、「ひょうたんづくり」の最も手間のかかる工程です。まず、「蔓(つる)」に近い箇所を「鋸(のこぎり)」等でカットし、種等の出口を大きくすることから始まります。

その後、種と綿(わた)の取り出しです。次に、乾燥工程へと進みます。因(ちな)みに、「乾燥」は「ダラダラ」としたものではなく。可能な限り、「カーン」とした陽光と「石油ストーブ」で「瞬時」に行います。

将来的には、「切り口」の反対側を「ポン」と叩(たた)くことで、「ポーン」と反響させようとする目論見(もくろみ)です。

この「ひょうたん」は、「演奏会」用打楽器の材料のつもりです。尤も、「演奏会」、とはいうものの、この齢(よわい)です。実現のほどは極めて不確(ふたし)かなものです。

それでも、兼好(けんこう)の「徒然草(つれづれぐさ)」宜しく、「あーしたらどうか、こーしたらどうか」と、その実現のための模索(もさく)を楽しみます。


(朝刊日の短歌欄から・・・津軽のご年配のご婦人T.Yさん)
『今日のこと昨日のことはうすれるも八十年前の記憶いまだに』
2024/09/30(月) 17:01
八丈島近辺での地震への、気象庁の指導は「海岸から離れてください。」でした。当然のことです。しかし、奥州最北端の「防災タウンページ」では、「津波のときは海に避難しなさい。」です。困ったことです。

極寒と酷暑の一年でした。気象庁のご指示「不要不急の外出はご遠慮下さい。」のご指示通り、筆者もまた自宅に籠(こも)る時間が多い年でした。

その所為(せい)か、テレビの視聴時間が多くなったようです。しかし、不満足なのは「日曜日の番組」でした。「観たい」と思うものが無く、日曜日に限って、期待するものが少ないのです。唯一、「シュミエン(趣味の園芸)」は例外です。楽しく観させていただいています。

しかし、「もどかしさ」もあります。実は、「草花の紹介」の殆(ほとん)どが、聞いたこともないジャングルや砂漠の草花です。それを滔々(とうとう)と説明するコーナーがあるのです。「京も一日・・・」です。

折角の日曜8:00の番組です。特に、老いた視聴者には、日本の草花を紹介してほしいのです。例として「あいうえお順」に列挙するとすれば、次のようなものです。

アツモリソウ、イソギク、エビネ、オキナグサ、オミナエシ、オモダカ、カイドウ、カタクリ、ガマ、キキョウ、キツネノカミソリ、ギボウシ、クマガイソウ、コマクサ、シシガシラ、シュウメイギク、シュウメイギク、シラネアオイ、ダイモンジソウ、タカノハススキ、ツバナ、ツワブキ、トリカブト、ナデシコ、ナデシコ、ニッコウキスゲ、ネジバナ、ヒメフクロウ、フウラン、フジバカマ、ホトトギス、マツカゼソウ、ミズヒキ、ムラサキシキブ、ヤマシャクヤク、ユウゼンギク、リンドウ、ワレモコウ・・・。

話しは飛びますが、今から60年前ほどの高校時代、同級生のY君が、『富士には月見草が良く似合う。』を講釈したことがありました。 太宰治の「富嶽百景」の一節です。

この意味は、おそらく、『ゴツく雄大な富士山には、可憐な月見草がよく似合う。』のようです。ところが、「月見草」がどのような花なのか、筆者は解らなかったのです。学校でも何処でも、「日本の花」が如何なるものであることは教えてはくれないのです。老いてからのお勉強ではあっても、せめて、「シュミエン」でのご紹介は欲しいところです。
2024/09/24(火) 17:26
先般の「宵待月(よいまちづき・待宵月?)・14夜月(じゅうしやづき))」は大きく、煌々(こうこう)とした月でした。「大きなお世話」とし知りつつも、つい、「いい月が出ていますよ。観て、観て」と、あちらこちらに連絡してしまいました。


このところ、老いの進捗に比例するように、テレビの視聴時間が多くなってきているようです。挙句(あげく)、番組編成方針にまで、あれこれの意見を持ちたくなります。

番組は、それなりの専門家が組み立てているようです。その方針決めには、勿論、編集者の個人的嗜好(しこう)もありそうです。他には、世間の中庸(ちゅうよう)的、且(かつ)、常識的なものを意識した最大公約数的なもの、そして、その時々の季節感、風潮、世界の事情等、また、視聴者の人気等の傾向等も作用していそうです。

例えば、10数年以上昔?は、毎年9月の定番は「旅愁(September Affair)1952」でした。ストーリーは、明るい夏が終る九月に感じる感傷を表現したものだったようです。

しかし、ここ最近は放送されることが無くなっています。或いは、これも、編集委員会?の嗜好によるものだったのかも知れません。何となく「つっかえ棒」を外されたような空虚さを覚えてしまいます。

他の要素は、且て、高い視聴率を得たものの再放送です。特に、池波正太郎が多いです。他は、「・・・評判記」、「・・・金さん」等の、営業上の「無難ライン」です。或いは、俳優の魅力とともに、多くの聴衆が「勧善懲悪」を望んでいるからなのかも知れません。

しかし、6~7回も視聴していると、「題名」だけでストーリーが頭に浮かんできます。そして、誤った「イントネーション」の使い方や台詞(せりふ)さえも記憶の中にインプットされてしまっています。

因みに、「剣客・・・」の井戸近くで使われている「箍(たが)」の緩(ゆる)んだ「桶(おけ)」を、「鬼平・・・」でも使われていたことがありました。また、毎回、「五鉄の二階」に登場する「しゃも鍋」の「膳」をコピーしてつくったことがありました。

再放送では、(ドギツ)くない作品が多いです。「ローマの・・・」、「バック・トゥ・ザ・・・」、「名探偵ポ・・・」、「刑事コロ・・・」、「ポリス・・・」等、イーストウッドの「・・・のガンマン」や「ダーティー・・・」シリーズ等です。

他に繰り返して放送されているのは「ジョン・ウィッ・・・」、「山猫は・・・」、「・・・脱出(走)」、「・・・の脱出」、「沈黙シリーズ」、「(ミヤギさんの)ベスト・・・」、「孫悟・・・」、「空・・・」、「始皇帝・・・」、「ランボー・・・」等です。因みに、一昨日の放送は、もう、8回ほども観た「クラーク・ケント」でした。そして、最近は「夕陽と拳銃」、「ビルマの竪琴」等の反戦映画です。或いは、西ヨーロッパの影響なのでしょうか。

また、ヒットした番組の2番煎じ、3番煎じの放送が気になります。「路線バス・・・」、「まぐろ釣り」、「料理のバラエティーやレシピ、居酒屋等の雰囲気紹介」、「ぼっちキャ・・・」、「鉄た・・・」、等の真似事です。

「麻雀」もよく観ますが、Ladyは観ません。それは、Ladyは、「新聞紙」、と言いたくなるほど、考える時間が長すぎるからです。


暑かったセプテンバーでしたが、昨日今日は石油ストーブのお世話になっています。季節を知ってか、菊(きく)が「花芽」をつけ、赤紫蘇(あかじそ)は「薄紫(うすむらさき)色」の花をつけています。

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2024/09/22(日) 11:05
奥州最北端では「快晴」が長く続いていました。しかし、昨日は「薄曇(うすぐも)り」、今日は時折小雨の混じる曇り(くもり)です。

尤も、「快晴」、「晴れ」、「曇り」、「薄曇り」等の「定義」はよく解らないでいるところです。実は、これらそれぞれには定義があるようですが、筆者の知っているそれと今の気象庁の常識とでは違っているようなのです。

それは、今流行(いまはや)りの「マイナンバーカード」の在り方と似ています。それは、何時、どのような変更がなされたかのお知らせの無いままに変更されているのです。

天候区分について、何でも知っているWEBにお訊(き)きしてみます。Wikipedia(ウキィペディア)では、快晴~雲の量が1割以下、晴れ~雲の量が2割以上8割以下、曇り~雲の量が9割以上(中下層雲が上層雲より多い)、薄曇り~雲の量が9割以上(上層雲が中下層雲より多い)となっています。

いくつかの不思議さがあります。特に、「日本晴れ」が削除されていることです。以前は、青空の片隅に若干程度の雲がある状態を「日本晴れ」、と分類されていた筈なのです。

それが今は、気象用語には無く、単に、お目出度い日が「日本晴れ」なのだそうです。雨の日の「日本晴れ」もあることになります。まことに、違和感のある文学的表現です。

「マイナンバーカード」も然(しか)りです。実は、これまで数十年、お世話になっていた病院から『9月からは、「マイナンバーカード」がなければ10割負担の会計になります。次回からはカードを出してください。』と脅(おど)しをかけられました。

その後、頑張ってカードを取得しました。それを持参して別の病院に行ったところ、『当病院ではカード対応はしていません。』と、これまでの健康保険証の提出を求められました。しかし、その折は、逆に、保険証を持参していなかったのです。困りました。

それについて、「カード」の担当者(K大臣)から、急遽、その運用再考の発表がありました。どうやら、選挙対策のためのであったようです。気象庁から「日本晴れ」の用語が消えたこと同様、困った世の中になったものです。


「北の都」では、それら雑音とは無縁の生活に浸(ひた)ろうとしています。「瓢箪(ひょうたん)」を収穫しました。近い折、「ひょうたんごっこ」を注入するつもりです。「ドライフルーツづくり」は、「オレンジ」への挑戦です。既に老骨です。芭蕉の『旅に病んで・・・』ではありませんが、夢だけは、あちらこちらに飛び回ることができるのです。


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2024/09/15(日) 10:42