このところ雨が続いています。それも夜半に降って朝方に上がるパターンです。昨日も今日も同じパターンです。

早朝、小雨に濡れることを楽しみながら狭庭を徘徊します。毎日の日課ですがいつも新しい出会いがあります。丁度、回転させながら万華鏡(まんげきょう)を覗(のぞ)くのに似ています。パッ、パッと変化しているのです。


煙突掃除器に似ているヒトリシズカ(一人静)の花は散り始めています。離れた場所にフタリシズカ(二人静)が芽を出しています。種類は同じようですが、明確な時間差をもって咲くことが不思議です。

ヤマシャクヤク(山芍薬)が蕾(つぼみ)を付け始めています。まだポツリポツリとです。早晩、グジャグジャ出る筈です。目離し(めばなし)の出来ない毎日です。

白根葵(シラネアオイ)の花が盛りです。薄紫の不思議な色です。雨を受けて項垂(うなだ)れています。

話は飛びますが、「小野小町」の『花の色はうつりにけりないたづらにわがみよにふるながめせしまに』を思い出します。

「わがみよ」は「わが御代」と「わが身世」、そして、「ながめ」は「眺め」と「長雨」の「掛詞(かけことば)」といわれています。

しかし、この「花」は桜のようです。シラネアオイは花をつけている時間が長いです。まだまだ楽しめそうです。とはいうものの、徒(いたずら)に時を重ねているうちに、既に今年も誕生日を迎えます。

2012/05/12(土) 09:37

早咲き遅咲きの櫻があります。近所の2本の一方は既に葉櫻になっています。他方は今が満開です。奥州最北端に春がやってきています。

昨年は時ならぬ雪にお化粧をした花です。今年は、積雪量の多い厳しい冬でしたが、やや遅れて、今、樹木の芽が出始めています。

ガクンガクンと暖かさを増しています。芽吹きの素晴らしさには花以上のものを感じます。見ているだけでいつの間にか底知れない大きさのエネルギーをいただいていることに気づきます。

外気にさらされていないピュアーな瑞々しさ、そして生き生きとした姿は満開の櫻以上に見るべきものがあります。丁度赤ん坊をみる思いです。その華やぎは満開の花に勝るとも劣らないほどです。

話は飛びますが、昔、友人のF氏が『新緑に惹かれて、娘にみどりの名前をつけました。』と言っていました。聞いた瞬間は驚きましたが、今になってみると、確かに、魅力極まりの無い緑です。然もありなん、です。

カエデ(楓)の葉が開ききる寸前です。つい先日芽吹いたばかりです。生まれた瞬間から赤い葉です。やがて空が赤く染まることになります。地色は赤い葉ですが、秋になるとこれも紅葉(こうよう)します。やや不思議な色彩を帯びます。


タツサワ(立沢)がいつの間にか芽吹いています。これも紅葉(もみじ)の一種です。既に葉を開く寸前です、ここ1日2日で開ききるようです。葉肉が薄く葉脈が透けて見えます。そしてギザギザが9つに分かれて開きます。

この葉がデリケートなことからか、西行法師は歌にこの名前を織り込んでいます。『心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮』です。

春ではなく秋を歌ったものです。秋の鴫は単独行動をするようです。その一羽が飛び立つ決心をしている情景を歌ったものです。その躊躇(ちゅうちょ)もそうですが、飛び立つときの鳴く声に趣があるのだそうです。

更に、この西行の歌からとったといわれる名前があります。尾崎紅葉の金色夜叉(こんじきやしゃ)の「宮さん」の姓です。「寛一」の姓の間(はざま)は一般的ですが、宮さんの名前は知る人ぞ知る「鴫沢(しぎさわ)」です。


偶然にしては芸が込み過ぎています。尾崎も西行を詠んだ筈なのです。故意的に使ったことが考えられます。

西行の『心なき・・・』とモミジの「立沢」のどちらが先かはよく解からないところです。おそらくは西行が先のようですが・・・。

2012/05/08(火) 18:32

イカリソウ「錨草」が咲いています。これまで名前の由来を勘違いしていました。ハート型の葉が船の錨(いかり)に似ていることだと思っていたのです。

しかし、何となくしっくりしないものがありました。今朝花を見て気づきます。葉ではなく、花が錨(いかり)に似ているのです。あらためて気づきます。大発見です。


これまで「ハッカク(八角)」も勘違いしています。当初、葉の八角形がそのまま「ハッカク」になったものと思っていました。しかし、実際の葉は、先端が2つに分かれてはいても6枚です。8枚ではないのです。

どうやら「ハッカク」の名前は、実の形のようです。ヒトデの形をしているのです。しかし、この実は、秋、人知れず地上に落ちるのです。これまで気づかなかった世界です。

別名をトウシキミ(唐樒)というようです。新しい世界と毎日対面しています。



2012/05/08(火) 18:28

このところの連休で曜日の認識力が鈍くなっています。今日はお勤めの日ですが日曜日です。仕事場から窺がう山の斜面に薄桃色の塊(かたまり)がポッポッと見えます。山桜のようです。

話は飛びますが、昨日のニュースで『世界一の弘前のソメイヨシノが散り始めています。』と報じています。これまで、弘前(ひろさき)は『全国有数のサクラの名所』と紹介していたようです。それが今年になって突然『世界一』と紹介されているのです。驚きです。

少し混乱します。奥州最北端のソメイヨシノを世界一とNHKが紹介するにはそれなりの根拠がありそうです。この一年で突然世界一に変身したのか、或いは、はじめから世界一であったものを認めたくなかったのかとも想像してしまうのです。


山桜と人の手のかかったソメイヨシノ等の里桜には違いがあるようです。まず、咲く時期が遅いのが山桜です。

また、葉の出るタイミングが異なることです。里桜の葉は花が終わってから出ます。それに対して、山桜は花と一緒に葉が出ます。


ようやく春を実感します。武島又次郎作詞、瀧廉太郎が作曲した「花」の2番に『見ずや あけぼの露浴びて われにもの言ふ櫻木を 見ずや 夕ぐれ手をのべて われさしまねく青柳を』があります。

昔、この、「春の夕ぐれ、我をさし招いている青柳を見ませんでしたか」の意味が解りませんでした。


一般的に、「青柳」の意味は「青々とした葉をつけた柳」ということなのでしょうが、葉をつけた柳は春に限ったものではないようです。

この歌の青柳は、正確?には「葉をつけ始めた、あるいは、葉をつけたばかりの柳」と訳したいところです。武島又次郎の見事な表現力を今になって味わっています。


狭庭の楓(かえで)も紅い葉を開ききる寸前です。下から見上げる空はムヤムヤと紅く色づいています。10年ほど前、奥州最北端から発信した『春もみじ』の季節です。

2012/05/06(日) 18:37

今日も雨です。早朝、製材所にお邪魔します。6:30です。一般的な時刻ではないことは知っていますが、今日は忙しい日です。昨晩約束させていただきました。

実は、日課の作品づくりの材料が無くなりました。青森ヒバです。そして、現在手をかけている看板用の板です。実は、依頼された看板に昨日から手をかけます。素材はケヤキ(欅)です。漆で文字を入れて「木固めエース」を塗っています。

しかし、何となくしっくりとは来ないのです。没にすることにします。そして青森ヒバにします。厚さ1寸5分の板です。

朝食前ですが、帰宅後、早速手をかけます。まずアマ(腐り)の取削除です。金槌(かなづち)、鑿(のみ)、グラインダーを使います。四阿(あずまや)が小雨を凌いでくれます。そしてカンナ(鉋)をかけ、サンダーで調整します。

一応の下拵え(したごしらえ)が終わったところで朝食です。そして遠方に出かけます。太宰(だざい)ゆかりのK町です。実は、今日もA女史のお見舞いです。1週間前も同じルートを移動しています。


しかし、高速道から窺がう景色は一変しています。落葉樹の枝々が微かな緑に煙っています。K町は桜の名所でもあります。きっちりとした正方形のようにお行儀よく咲いています。

生憎(あいにく)の雨です。そして早い時刻です。車は多くありません。人混みもそうですが、見る人の少ないときの花にもまた不思議な奥ゆかしさが思われます。しかし、帰路、「沖縄ナンバー」の車とすれ違います。日本中全員がめまぐるしく移動している錯覚に陥ります。


帰宅後、朝、下拵えした看板と睨(にら)めっこです。やはり何となく釈然としないのです。外に置く看板です。不特定多数の皆さんがご覧になります。自分で納得できない作品を納入すべきではないのです。考えてしまいます。

丁度その頃、達人のI氏がお出でになります。早速相談します。『板自体をメッセージ板に使うのは勿体ない。額をつくれは良いのではないか。それもワイルドな設計がいいでしょう。』とコーチをいただきます。

額のフレームには「雪囲い」用の丸柱が使えそうです。何とかなりそうです。モヤモヤが吹っ切れた思いがします。

高速道路の山々は煙っています。我が狭庭も芽吹いています。「タツサワ(立沢)」が葉を開く寸前です。下には「クマガイソウ(熊谷草)」の葉が開く寸前です。「ヤマシャク(山芍薬)」がいつの間にか葉をつけています。目離しのできない春です。


話は飛びますが、「クマガイソウ(熊谷草)」に対して「アツモリソウ(敦盛草)」があります。「クマガイソウ」の葉が団扇(うちわ)の形状であるのに対して「アツモリソウ」の葉は「エビネ(海老根)」やオモト(万年青)に似ています。

葉の形は全く異なりますが、花は同じ形をしています。蘭(らん)独特の形状をしています。これが、昔、武士の装束(しょうぞく)の母衣(ほろ)に似ていることから命名されたようです。クマガイソウは熊谷次郎直実、そしてアツモリソウは、笛の名手、無冠の太夫平敦盛です。

また話は飛びますが、『一の谷の戦敗れ 討たれし平家の公達あわれ・・・』は「平忠度(ただのり)」を歌ったようです。彼は『行き暮れて・・・』の詩を残しています。「岡部六弥太忠澄」に討たれたとき、「箙(えびら・リュツクサックのようなもの)」に残されていたそうです。

またまた話は飛びますが、「行(ゆき)くれて木(こ)の下かげをやどとせば花やこよひのあるじならまし」を残した「平忠度(たいらのただのり)」を悼んで『さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな』を詠ったのが「忠澄」です。

冒頭の『一の谷の戦敗れ・・・わが師に託せし言の葉あわれ・・・』の「わが師」は「藤原俊成」のようです。この『行きくれて木の下・・・』は彼の編集した「千載和歌集」に載っています。しかし、「詠み人知らず」となっています。後の「新勅撰和歌集」になって実名が付されたそうです。

どれもこれも花(サクラ)をテーマにしています。その花が満開です。明日の日曜日はお勤めの日です。窓から窺がうサクラを楽しむことにします。

2012/05/05(土) 18:20

曇り空からシトシトとした雨になります。花見や磯遊び等の行楽には不適ですが、ある意味では恵みの雨です。日に日に緑が増しています。

ここ数日、イチイ(一位)の花粉が顕著です。葉に触ると白い微粉末が漂います。霧のように幻想的です。花が咲いて花粉をまき散らしているのです。

当地ではイチイをオンコと言います。アイヌ語と言われています。話は飛びますが、イチイの別名はアララギのようです。明治末から活躍した伊藤左千夫や正岡子規等が使った短歌会の名前はこれからとったようです。

蛇足ですが、このアララギ派の傾向は、人の深層心理や生活を詠ったものが多く、個人的にはこれまで惹かれることのなかった流派です。

狭庭にある3本中の1本だけに赤い実をつけます。イチイは雌雄異株の常緑樹です。雪と赤い色のコントラストは絶妙です。


昔、いつも緑の葉をつけていることが不思議でした。常緑樹は一旦付けた葉を何年も付け続けていると考えていたのです。

しかし、実際には、年を越した葉は、春に新しい葉と入れ替わっているようです。最近になって気づきます。

常緑樹の定義はよく解りませんが、秋に葉を落とすのが落葉樹で、春に葉を落とすのが常緑樹ということになりそうです。一般的には、乾燥や寒さに耐性のあるものは冬でも葉を付け続けるようです。

雪の間、緑を保っていたマサキ、サツキ、ツバキ、サツキの一部、アオキバ等の葉が、今になって葉を落とし始めています。それと並行して新しい葉が生まれています。

秋、落葉樹は一斉に葉を落とします。常緑樹の新旧交代劇はこれほど劇的でないところも常緑樹の所以(ゆえん)なのかも知れません。

昨日から「看板」に手をかけています。簡単な作業です。しかし、文字を漆(うるし)で描いたことに反省頻り(しきり)です。本来、雨は漆の乾きを促進してくれます。その条件以上に厚塗りし過ぎたようです。この連休で仕上げるつもりでしたが納品が遅れることになります。ま、いつものパターンです。

他方、看板の脚のイーゼルは順調のようです。今朝、塗りをします。外に置くことから「木固めエース」を使います。シンナーの匂いがキツいことから庭での作業です。雨の前の一瞬のチャンスを生かします。


午後は塗師(ぬし)に変身します。昨日、1回目の拭き漆をしたものです。綺麗に乾いています。

1回目の塗りの後にはザラつき感が生じます。今日の2回目は、サンダーをかけてそれを滑らかにしてからです。

簡単な作業ですが、若干の配慮はあります。ゴム手袋をつけます。手脂を付着させないためです。脂というよりも指紋です。漆は脂を嫌います。綺麗な仕上がりには欠かせない配慮です。そして2回目の塗りです。導管を埋めるように漆を摺(す)り込んでやります。所謂「摺り漆」です。

あとは拭き取るだけです。作業は簡単です。とはいうものの、これにも配慮が伴なます。蓋物(ふたもの)の「棗(なつめ)」です。身に蓋をそっと載せてスーッと収まらなければ作品にはならないデリケートなものです。

塗る前の木地(きじ)の段階では、身と蓋(ふた)の間に微かな遊びをつくります。その空間が微かな漆の厚さで、やがてピタリとフィットすることを計算しているのです。

計算通りになるためには、綺麗な拭き取りが条件になります。微かな拭き残しでも計算は成り立たないことになります。直角になっているコーナーの拭き取りには特に気を使います。


昼前、Y氏宅にお邪魔します。実は、今朝、達人のI氏が教えて下さったのです。全く気づきませんでした。傾向は冬になる前からあったようです。

2012/05/04(金) 14:16