
今日も雨です。早朝、製材所にお邪魔します。6:30です。一般的な時刻ではないことは知っていますが、今日は忙しい日です。昨晩約束させていただきました。
実は、日課の作品づくりの材料が無くなりました。青森ヒバです。そして、現在手をかけている看板用の板です。実は、依頼された看板に昨日から手をかけます。素材はケヤキ(欅)です。漆で文字を入れて「木固めエース」を塗っています。
しかし、何となくしっくりとは来ないのです。没にすることにします。そして青森ヒバにします。厚さ1寸5分の板です。
朝食前ですが、帰宅後、早速手をかけます。まずアマ(腐り)の取削除です。金槌(かなづち)、鑿(のみ)、グラインダーを使います。四阿(あずまや)が小雨を凌いでくれます。そしてカンナ(鉋)をかけ、サンダーで調整します。
一応の下拵え(したごしらえ)が終わったところで朝食です。そして遠方に出かけます。太宰(だざい)ゆかりのK町です。実は、今日もA女史のお見舞いです。1週間前も同じルートを移動しています。
しかし、高速道から窺がう景色は一変しています。落葉樹の枝々が微かな緑に煙っています。K町は桜の名所でもあります。きっちりとした正方形のようにお行儀よく咲いています。生憎(あいにく)の雨です。そして早い時刻です。車は多くありません。人混みもそうですが、見る人の少ないときの花にもまた不思議な奥ゆかしさが思われます。しかし、帰路、「沖縄ナンバー」の車とすれ違います。日本中全員がめまぐるしく移動している錯覚に陥ります。
帰宅後、朝、下拵えした看板と睨(にら)めっこです。やはり何となく釈然としないのです。外に置く看板です。不特定多数の皆さんがご覧になります。自分で納得できない作品を納入すべきではないのです。考えてしまいます。
丁度その頃、達人のI氏がお出でになります。早速相談します。『板自体をメッセージ板に使うのは勿体ない。額をつくれは良いのではないか。それもワイルドな設計がいいでしょう。』とコーチをいただきます。
額のフレームには「雪囲い」用の丸柱が使えそうです。何とかなりそうです。モヤモヤが吹っ切れた思いがします。
高速道路の山々は煙っています。我が狭庭も芽吹いています。「タツサワ(立沢)」が葉を開く寸前です。下には「クマガイソウ(熊谷草)」の葉が開く寸前です。「ヤマシャク(山芍薬)」がいつの間にか葉をつけています。目離しのできない春です。
話は飛びますが、「クマガイソウ(熊谷草)」に対して「アツモリソウ(敦盛草)」があります。「クマガイソウ」の葉が団扇(うちわ)の形状であるのに対して「アツモリソウ」の葉は「エビネ(海老根)」やオモト(万年青)に似ています。葉の形は全く異なりますが、花は同じ形をしています。蘭(らん)独特の形状をしています。これが、昔、武士の装束(しょうぞく)の母衣(ほろ)に似ていることから命名されたようです。クマガイソウは熊谷次郎直実、そしてアツモリソウは、笛の名手、無冠の太夫平敦盛です。
また話は飛びますが、『一の谷の戦敗れ 討たれし平家の公達あわれ・・・』は「平忠度(ただのり)」を歌ったようです。彼は『行き暮れて・・・』の詩を残しています。「岡部六弥太忠澄」に討たれたとき、「箙(えびら・リュツクサックのようなもの)」に残されていたそうです。
またまた話は飛びますが、「行(ゆき)くれて木(こ)の下かげをやどとせば花やこよひのあるじならまし」を残した「平忠度(たいらのただのり)」を悼んで『さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな』を詠ったのが「忠澄」です。
冒頭の『一の谷の戦敗れ・・・わが師に託せし言の葉あわれ・・・』の「わが師」は「藤原俊成」のようです。この『行きくれて木の下・・・』は彼の編集した「千載和歌集」に載っています。しかし、「詠み人知らず」となっています。後の「新勅撰和歌集」になって実名が付されたそうです。
どれもこれも花(サクラ)をテーマにしています。その花が満開です。明日の日曜日はお勤めの日です。窓から窺がうサクラを楽しむことにします。
2012/05/05(土)
18:20