土曜日です。いつものように、週に一度の「食料買い出し」に付き合わされます。スーパーに向かう途中、街路樹が延々と続く区間があります。「ニセアカシア」です。それら全てに白い花がついています。小糠雨の中の「アカシア」の満開です。
つい、西田S女史の『アカシアの雨がやむとき』を連想してしまいます。そして、「アカシアの雨」の意味を解っていないことに気づきます。
帰宅後、即WEBにお訊きします。作詞は「水木かおる」でした。彼は「霧笛が俺を呼んでいる」、「エリカの花散るとき」、「赤い風船」、「くちなしの花」、「みちづれ」、「二輪草」等を書いています。
そして、「アカシアの雨がやむとき」の解釈にも触れています。今は、単なる、雪洞(ぼんぼり)のような、モッソリとした花の塊(かたまり)ですが、歌の「雨」は、どうやら、「アカシアの白い花が舞い散る様子」の比喩(ひゆ)のようです。
散るのは早晩です。西田S女史をして、「無数の白い花びらが小糠雨のように降り注ぐ」と歌わしめた「水木かおる」の「アカシアの雨」に会うことができるのはその瞬間です。是非、目撃したいところです。
さて、数日続いた小糠(粉糠)雨(こぬかあめ・霧雨)の後もまた、青空の見えない曇天と小雨です。週間天気予報も、「延々と続く曇り(くもり)空と雨」を訴えています。畑の光合成が心配されます。しかし、天候の如何(いかん)にかかわらず、今日からは夏です。心持(こころもち)だけはアクティビティー(Activity・能動的)になりたいところです。
このところの起床時刻が早くなっています。この早い時刻の習慣化にはいくつかの原因がありそうです。まず、就寝時刻の早まりや転寝(うたたね)によって、必要量の睡眠をとってしまっていることが考えられます。或いは、冬の除雪時の早起きの習慣が、未だに体内時計に残っているからなのかも知れません。しかし、何よりも、高齢に伴う自然の摂理によるものと考えるべきなのかも知れません。
今日もまた、未明の中、モゾモゾと起き出してしまいます。そして、あれこれに触手を伸ばします。4:00前には既に明るくなっているのです。先ずは、植木鉢や畑の様子の確認です。瓢箪(ひょうたん)の新芽の一部が朽ちています。「食害」です。犯人は「ナメクジ」です。10数匹を駆除し、自作の「特製虫よけスプレー」を散布してやります。
「キュウリ(胡瓜)」の葉が、点々に茶色になっています。これも「食害」です。犯人は「テントウムシ」です。これにも、「虫よけスプレー」を散布し、明朝の様子を待つことにします。
苺(いちご)にはたくさんの実が生(な)っています。しかし、「真っ赤」になっている数は少ないです。期待外れの原因は、「食害」ではなく「曇天続き」の所為(せい)です。
他方、植木鉢の「草」は強靭(きょうじん)です。つい先日採ったばかりの草は見事に復活しています。その量が余りにも多いので、今朝の「草取り」は、「サツキ」と「ナツハゼ」だけに妥協です。
昨春「鉢植え」した「生り物(なのもの)」のいくつかに「実」が生っています。「スグリ」、「ナツハゼ」、「サクランボ」、「柿?梨?」等です。そして、「ツツジ」に遅れた「サツキ」が咲いています。それぞれに見応えがあります。特に「ナツハゼ」は風情豊かです。曇天続きとはいうものの、自然の恵みの享受に感謝すること頻(しき)りです。
その後、工作室(物置小屋)に籠(こも)り、手がけているあれこれの確認です。「金継ぎ(きんつぎ・かねつぎ)」、「螺鈿(らでん)」、「蒔絵(まきえ)」等、そして「弁当箱」の「塗り直し」もあります。何れも、完成までには長時間を要する課題です。
他に「名札づくり」があります。友人から依頼されたものです。満足していただくために、数種類のパターンを考えているところです。



