ほんの「猫の額(ひたい)ほど」のエリア(area)ですが、畑作を楽しんでいます。狭(せま)い畑での、素人のするお恥ずかしい畑作行為です。
しかし、このたびの「雨」は待ちに待った天の恵みでした。狭い畑にも降ってくれたのです。
雨の前に蒔(ま)いたダイコンの種がこの雨で「芽吹き」ました。ダイコンを育てるのは人生初です。つい、感激の拍手喝采を送りました。
話は飛びますが、その「雨」の中、天気予報は、『北に梅雨は無いのですが、この雨は、梅雨前線の影響です。』、と訳の分からないことを言っていました。
地球規模で、これまでと異なる天候を迎えている中です。放送局さんにも意識改革が必要なのかも知れません。
いつの間にか「好い加減な歳」を迎えていました。多くを語った同期の中には、「西方に逝(い)った者」、「入院中の者」、「運転免許返上者」、「動くことが大儀になった者」等々が多くいます。必然的に、彼らと出会う機会は稀(まれ)になり、お付き合いは日に日に疎(うと)くなっています。
しかし、季節は、それらの事情とは無関係に巡(めぐ) っています。『人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂(にお)いける(紀貫之・きのつらゆき)』(人の心の移り変わりとは異なり、花だけは昔のままだ)。この「花」は「梅」のようです。
『行き暮れて木の下かげを宿とせば花や今宵のあるじならまし(平忠度・たいらのただのり)』(源氏に追われた忠度が状況を詠ったもののようです)。 この「花」は「桜」のようです。
『さざ波や滋賀の都は荒れにしを昔ながらのやまざくらかな』(志賀の都は荒れていても、山桜は昔と同じく咲いている)。この歌は、忠度が藤原俊成に託し、後に「拾遺集(しゅういしゅう)」に載った歌です。
何(いず)れも、人とは異なる自然の不変性を詠(うた)ったもののようです。「梅や桜」は「春」ですが、今の我が家の「春に追い立てられた花(K.Tの番外地)」は、「ハマナス」ではないものの、夏の「花」に溢(あふ)れています。
尤(もっと)も、筆者の知る今の季節の「花」の名前は、せいぜい「合歓」、「紫陽花」、「露草」程度です。合歓(ネム)」は「眠(ねむ)る」に由来しているようです。夕刻になると「葉」が萎(しぼ)むからのようです。
「紫陽花(アジサイ)」は「白楽天」の歌を倭人が誤訳したことと関係があると聞いたことがあります。「七変化(しちへんげ)」、「八仙花(はっせんか)」の名前もあります。
「露草」は、濡れた「朝露」がいつの間にか消え失せるように、咲いた花は昼にはいつの間にか萎(しぼ)んでいる、ことに由来するようです。
昼前から工作室に入り、「弁当箱」づくりの続きを楽しみます。今日は、「パーツ(parts)」づくりからです。「二段重ねの弁当箱」をつくることにしました。1個つくるときのパーツ数は13個ほどです。「12個」ほどをつくるつもりです。結構な量のパーツが必要になります。
更に、それぞれの寸法には「相関関係」を持っています。「1mm」の狂いも許せない加工です。まず「丸鋸(まるのこ)」の「角度」の確認です。
今日の作業は、「蓋(ふた)」、「側面」、「底面」の中の、「側面」だけの4面の「パーツ」づくりになりました。



