首都圏に遅れること一ヶ月余り、奥州北端にも桜花がやってきました。そしてどこを歩いても黄色い「水仙」が目につきます。車道の両側には、白い木蓮(もくれん(田打ち桜)・こぶし(辛夷))が咲いています。

『木蓮の花許(はなばか)りなる空を瞻(み)る』の句を思い出しています。記憶は曖昧(あいまい)ですが、冒頭が「仰数春星(仰ぎかぞうしゅんせい)一二三」の「草枕」だった筈です。場面は、石磴(せきとう・石の階段)を登りつくした時、朧(おぼろ)にひかる春の海を見たシーンです。

65年以上前に読んだ本が今になって蘇(よみがえ)ってきています。困ったことです。しかし、嬉しくもあります。毎早朝、吹雪の中の除雪を思うと異次元の世界が展開しているのです。

とはいうものの、まだまだ寒さの厳しい奥州北端です。自(おの)ずと工作室に籠(こも)る時間が多くなっています。そしてあれこれの作業をしたくなります。とはいうものの、その課題の明確性は乏(とぼ)しく、何をやれば良いのか解らないまま、何かをやりたがっているジレンマが生じている毎日です。

よしんば、テーマが確定しても、いざ、作業となると、その進捗(しんちょく)は極めて遅々(ちち)としたものです。突然の「春」に「面食(めんく)らって」いるのでしょう。

当面の課題を「弁当箱づくり」にしようとしています。これは、「昼食用」の「器(うつわ」です。材は世界の一級品「青森ひば」、「塗装」は「拭き漆」です。

先(ま)ずは「組み立て部材」への加工をしようとします。加工の過程は、「材」の「木口(こぐち)切り」、「鉋(かんな)がけ」、「部材づくり」、「組み立て」、「塗(ぬり)」等へと進むつもりです。

加工プログラムで悩んでいるのは、「箱」の「コーナー」です。数本の「鋸目(のこめ)」を入れ、「熱湯」に浸(つ)けて曲げるか、或(ある)いは、各面(5面?)をつくって組み立てるか、です。何れの過程もデリケートです。もう少し悩むことにします。「ものづくり」は、この「悩む時間」が楽しいのです。

今日は「木口切り」です。これは、「鉋掛け」の際、「木口」に小石等が含まれていることを拒否するための工程です。問題点は「木端面(側)」への「鉋掛け」です。「木表」、「木裏」への「鉋掛け」は一般的ですが「側」への「鉋掛け」は、これまで経験したことがなかったのです。


先日の深夜、テレビにベラフォンテ(Harry Belafonte)の日本公演が放映されていました。データーは、今から60年以上昔のものです。カメラは、時折、会場客席まで及んでいました。今とは異なり、当時は、客席の個々の顔は「ボカシ」の無いもので、クリアに識別できる画面でした。

或いは、客席に三島が居るのではないか、と画面の客席を注視しました。しかし探せませんでした。実は、公演後三島由紀夫の講評が新聞に載りました。三島もその席に居たはずだったのです。

講評の内容は、『ベラフォンテの歌には熱帯の太陽、カリブ海の貿易風、奴隷の悲痛な歴史、陽気さと繊細さと悲哀、素朴な人間の魂等のありのままの表現がある。』だった筈です。

ベラフォンテはニューヨーク・ハーレム育ちです。ベラフォンテの時代は治安の厳しい頃でした。三島は、舞台のベラフォンテからそれを感じとり、それを講評に反映させた筈なのでした。

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2026/04/16(木) 12:54