軒(のき)から雫 (しずく)が垂れ落ちています。ポツリ ポツリ、タチッ タチッ タチッ、タン タン タンと絶え間なく、です。このところの最高気温は、いつの間にか、氷点下から「プラス」に転じていたのです。しかし、体感的寒さはこれまで通り厳しいものです。書斎には5台の石油ストーブを活躍させているほどです。

春を待ちきれず、先般、雪の中から「鉢植え」の「梅」を掘り起こし、書斎に持ち込みました。持ち込んで間もなく、二つの「花芽(はなめ)」が膨(ふく)らみ始め、力強い花をつけました。

因(ちな)みに、『願はくは花の下にて春死なむ その きさらぎの望月のころ』は、北面の武士であった西行法師辞世の歌といわれています。その「花」は「桜」のようです。しかし、「梅」のようでもありそうです。

実は、繙(ひもと)いたところ、西行は、鎌倉時代に入った旧暦二月(現在の三月)に亡くなっています。この歌を詠(よ)んだのは亡くなる前です。三月の望月(満月)は、今の「ひな祭り」の頃です。桜の季節は、首都圏でも三月末です。これが「桜」では早すぎるようなのです。どうやら、この歌に登場する「花」は二月の「梅」と推察できそうなのです。

しかし、多くの「歌詠み」が残した「花」は「桜」が多いようです。例(たと)えば

『行き暮れて木のした影を宿とせば花や今宵のあるじならまし」 (平忠度(たいらのただのり)が、歌の師の藤原俊成に残した歌。昔、小学校の音楽の教科書に載っていた「青葉の笛」の一節です。後に、定家はこの歌を「千載和歌集」に載せました。)

『春高楼の花の宴 廻(めぐ)る盃影さして 千代の松ヶ枝分け出し昔のひかり今いずこ・・・(土井晩翠(どいばんすい)の荒城の月)・「影」は「月のひかり」のことです。

『花咲かば、告げんと言ひし山里の使いは来たり馬に鞍、鞍馬の山の雲珠(うず)ざくら、手折り栞を知るべにて、奥も迷はじ咲き続く、木蔭に並み居て、いざいざ花を眺めん(今が桜花の見頃だ、と山里から使いが知らせに来ました。馬に鞍を置いて、さあ、みんなで鞍馬山に行きましょう。謡曲小謡 鞍馬天狗)。

それらに対して「梅の花」の歌は、多くを思い出せません。

『ひとはいさ こころもしらず ふるさとは 花ぞむかしのかに匂(にお)いける(紀貫之・百人一首(定家の編集?・あなたはどうかわかりませんが、ここでは梅の花が昔のままに香りをただよわせています)

『東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ(菅原道真・拾遺和歌集・春になって東の風が吹いたら、私にもその香りを届けてくださいね』


このところ、PCの加減が良くありませんでした。一昨日、AYのY氏に乞い、クリーニングをお願いしました。その結果、見事に復旧しました。そしてこの日記も再開するに至ります。クリーニングの具体的作業は、筆者の到底及ばない次元の「ノウハウ(know-how?)」でした。

『これは無視します。』、『これはOFFにします。OFFの仕方はこうやります。』、『この命令は削除します。』等々でした。それも、状況を瞬間的に判断し、解りやすく説明して下さいました。感謝していること頻(しき)りです。

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2026/02/22(日) 12:00