12月14日も、「雨」は一日中、そして間断なく、シトシトと降り続いています。この「雨」で、数日前に降った雪が、瞬(またたく)く間(ま)に消え去りました。
唐突ですが、つい最近まで、「時雨(しぐれ)」の意味をよく理解していませんでした。「広辞苑(こうじえん)」にお訊(き)きします。次のような「定義」がありました。
『冬の初めころに、降ったりやんだりする雨』、『ひとしきり続くもの』、『通り雨』、『しきりに続く雨』等・・・でした。
「時雨」は、「影を慕いて」にも使われています。『♪どこまで時雨行く秋ぞトレモロ・・・。』は、おそらく、「この雨はいつまで降り続くのか。降り続く中、秋は過ぎ去って冬になるのか」?となりそうです。
因(ちな)みに「トレモロ」は「ムカデの足」のことのようです。ギターの演奏方法のひとつです。「人差指、中指、薬指」を「ムカデの足」のように「強弱」なく動かす技法です。筆者も毎日お稽古しています。
本格的な雪の前に、やっておきたいあれこれの畑作業があります。しかし、「時雨」の中の作業は無理です。
悶々(もんもん)と家に籠(こも)り、「工作室」の「整理」や、「課題の設定」、「料理の真似事」なんぞで「無聊(ぶりょう)」を慰めているところです。
先般の「貯金箱」にも手を掛けました。「螺鈿(らでん)」の「真似事」です。しかし、出来の「拙(つたな)さ」に落胆します。
そして、やはり、あちらこちらの局が「ハンコで押した」ように「赤穂浪士」を放映していました。中には「外伝」もあります。自身では作れない脚本です。「良し」とするところです。
翌15日は「大雪」の予報でした。「タイヤショベル」を玄関前に移動し、エンジンのかかり具合等の確認やコックピット(cockpit)のお掃除を済ませていました。しかし、実際は見事な晴天です。「ショベル」の「出動」は無し、でした。「良し」とすべきところです。
「何だ彼だ(あれこれ)」ある、そして、「何があるかわからない中」での棲息(せいそく)を余儀なくさせられている毎日です。既に「いい歳」ながらも、首都圏同様、奥州北端の天気予報にも、ある程度の配慮が欲しいところです。
カールベーム指揮・ウィンフィルの「第九」をラジヲの深夜放送で聴きます。感動したのは、70年前の小学校時分同様「第一楽章」でした。

