「冬来たりなば春遠からじ」です。これまでの「冬のイントロ」が「春のイントロ」に変わりました。
数日前の予報では、一昨日は「雪」でした。「大雪注意報」が出ていました。やはり、「雪」になりました。しかも、気温は、前日比マイナス13℃です。劇的な「将軍様」の「お出まし」です。
とはいうものの、深い山間部の積雪は1メートルを越えましたが、いつの間にか「大雪注意報」は「取り下げ」られ、市内の路面は、単に濡(ぬ)れているだけでした。
今日は「燃えるゴミの日」です。「クリーンボックス(ゴミの集積所)」は、「雪」に臆(おく)することなく、賑(にぎ)やかでした。
晩秋です。「三夕(さんせき)の歌)」を思い出しています。60数年前、「古典」で習った「短歌」「三首」です。
『寂しさはその色としもなかりけり槙(まき)立つ山の秋の夕暮れ(寂蓮・じゃくれん)』
『心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行・さいぎょう)』
『見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ(定家・さだいえ)』
この中で、身近だったのは「西行の歌」でした。尾崎紅葉の『金色夜叉』の「寛一お宮」の「寛一」は「間(はざま)寛一」です。そして「宮さん」は「鴫沢(しぎさわ)宮」だった筈です。
尾崎紅葉は「西行の歌」の『・・・鴫発(しぎた)つ沢・・・』の「鴫沢(しぎさわ)」を「宮さんの名」にしたようなのです。そして、自宅庭の「モミジ」も「繊細」な「立沢(たつさわ)」です。
「西行」には、あれこれの「馴染(なじ)み」や「想い出」がありました。しかし、高校時分に理解できなかったのは、「夕べの歌三首」とはいうものの、「結句」はいずれも、「秋の夕暮れ」です。
しかし、「三秋の歌」ではなく「三夕の歌」としたのは、「秋」よりも「夕」の持つ「趣(おもむき)」が勝(まさ)るからか、或(ある)いは、「秋」と「夕」を一体化させることで「晩秋」の「風情や哀れ」を引き立てようとしたのか、等々、高校時分に考えたものです。
このところの作業は「干し柿(ほしがき)づくり」です。先週、県東の「S・道の駅」から「地元産」の「渋柿(しぶがき)」を求めました。
それらの「皮」を「剥(む)」き、現在、「吊るし干し(つるしぼし)」しているところです。しかし、「もっと大きい」ものにも手を掛けたくなり、「兵庫県尼崎の農家さん」から「大型渋柿」を入手しました。
昨日、その「皮剥ぎ(かわはぎ)」を終え、現在、「吊(つる)」しているところです。・・・「正月」の「口取り」に間に合えばいいのですが・・・。


