一昨日の雨で、畑への「水遣(みずや)り作業」を免(まぬが)れました。夜も、「孟浩然(もうこうねん・唐の詩人)」の「春暁(しゅんぎょう)」ならぬ、秋の「夜来風雨」でした。
雨のお陰で「水遣(みずや)り」から解放されました。外に出ることが出来ないので「草取り」も棚上(たなあ)げです。
即、工房に籠(こも)ります。実は、駐車場の一角に「蹲踞(つくばい)」があります。「蹲踞」には、その形によって名前がついています。
我が家には数鉢ありますが、この「蹲踞」には「銀閣寺」の名前がついています。「雪」の前に、その「銀閣寺」に「屋根?覆い?傘?」を架(か)けることを目論(もくろ)んでいます。
とはいうものの、実際には、その「屋根」なるものを観たことはなく、その存在すらも不明です。或いは、全く頓珍漢(とんちんかん)な発想である気もします。
この「模索」は、丁度、「芭蕉(ばしょう)」の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る」、のようでもあります。「Forever, isn‘t bit too long.(永遠とはいっても、一瞬なのに?)」・・・です。
しかし、兎に角、材料の調達からスタートすることにしました。昨日、工房の隅(すみ)を覗(うかが)うと、それらしい「タルキ(垂木)」が出番をまっていました。
このところ手がけている「ペン皿」と「皿の金継ぎ」は、「漆の乾き」を待っているところです。「漆工」は「待つ」こと自体が作業なのです。『・・・夢は枯野をかけ巡る。』です。何とかなりそうです。




