地元割烹旅館のご厚意をいただき、先夕、「花見の宴」を得ました。花は散り始めていました。しかし、流石(さすが)に、ライトアップされた庭は至福の域でした。

しかし、集まった方々は同期生です。前回の参加者は、今はいなく、丁度、良寛和尚の、『散るさくら残る桜も散る桜』の歌、そのものです。更に、集まった面々は80歳です。既に会話の作法も出来なくなっています。頓珍漢なのです。

丁度、紀貫之(きのつらゆき)の、『人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける・・・あなたはどうだかわかりませんが、ふるさとの梅の花は、変わらず咲き誇り、いい香りを放っていますよ。?』のようです。「引出物」に、ここ数十年、つくってきた「木工作品」を提供するつもりでしたが、それすらも拒否される有様でした。結局、それら作品は自宅に持ち帰る羽目になりました。

更に、80歳を祝い、当日の朝、「お強(おこわ・赤飯)」を作って持参しましたが、それについても触れられることはありませんでした。まさしく、「荒城の月」でした。『千代の松ヶ枝分け出でし昔の光今何処・・・昔、込み入った松の枝葉を縫って杯に降り注いでいたあの月光の力は何処に失せたのか・・・。』です。

他方、会場提供の女将(おかみ)さんからは、殊更のおもてなしを戴きました。ところが、『来年は私が仕切ります。』、と宣(のたま)います。困ったことです。


美術の田村先生の訃報(ふほう)が届きました。「花見の宴」で話題になった直後でした。友人の居酒屋の壁の「マルコポーロ」や、自宅書斎の「ビーナス」の「レリーフ」、そして、且(かつ)て通学した野脇中学校の階段の「踊り場」に描かれていた「最後の審判」が赫奕(かくやく)として蘇(よみがえ)ってきます。この絵は、70年ほど前、姉も参加して描いた「鉛筆画」でした。

今、その中学校は名も形跡も失い、今は、市民文化会館になっています。矢のように過ぎていく時を思い知らされています。合掌。

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2025/05/03(土) 12:21