奥州北端の桜花が盛んです。当地の名所、小学校のグランド周辺を窺(うかが)ってみました。創立100年以上を経つものの、生徒数減少で、廃校になった小学校です。
建物は荒れに荒れていました。特に、体育館の裏は惨憺(さんたん)たるものでした。しかし、「桜花」は、昔以上の見事さを誇っていました。
「無法松の一生」を思い出します。小学校の学芸会前日、吉岡の息子「敏夫」が、飯台(はんだい)の上でお稽古した「青葉の笛」です。
『(2番) 更(ふ)くる夜半(よわ)に門(かど)を敲(たた)きわが師に託せし言の葉あわれ 今わの際まで持ちし箙(えびら)に 残せしは「花や今宵」の歌』 です。
『行き暮れて木の下かげを宿とせば「花や今宵の」あるじならまし』の「花や今宵(こよい)」です。都落ちした平忠度(たいらのただのり)の歌です。「わが師」は、彼の歌の師匠「藤原俊成」です。
尤も、残念なことに、後年の「無法松の一生」では、このシーンがカット(削除)されています。
忠度は、『さざ波や滋賀の都は荒れにしを昔ながらのやまざくらかな』も残しています。地元小学校跡地とダブってきます。
他方、小学校近くの湖に置いた「ベンチ」は今も健在でした。昔、筆者の提供した「10基」ほどの中の「1基」です。

