「桜前線」が伝えられる中、そして、明日の「春分の日」を前にしての雪です。「南部」にも降りました。

因(ちな)みに、その「南部」は、奥州北端の「太平洋側」の意味です。今の天気予報にも「南部」は使われていますが、それは、「日本の南部」の意味として、です。

それは兎も角、昔から、『南部に雪が降れば、春がやってくる。』の「言い伝え」があります。期待すること頻(しき)りの「南部の雪」です。


外に出るには寒い日が続いています。自動的に、家に籠(こも)る時間が多くなっています。時折、テレビを観ます。主に時代劇です。最近は、「鬼平」です。「本所桜屋敷」は、「吉右衛門」も「染五郎」も観ました。

しかし、「困った」ことに、その両者に、台詞(せりふ)や「大道具・小道具」等の数ヵ所に違いがあることに気づいたりなんぞもします。「小道具」では、「五鉄2階」の、「七輪台」がそうです。「吉右衛門バージョン」の「台」が懐(なつ)かしいです。

「台詞(せりふ)」では、「染五郎版」の「本所桜屋敷」のラストシーンです。「山口馬木也」演じる「岸井左馬之助」が、『人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔のかに匂いける』を詠じていました。(土佐日記の)「紀貫之(きのつらゆき)」?の歌です。「吉右衛門バージョン」では無かった台詞です。

この歌は、「二人の思いのやり取り」の「贈答歌」のようです。要旨は、『他(あなた)の心のほどはわかりませんが、花だけは、昔と同じ良い香りを漂(ただよ)わせています。』のようです。

この「花」は、「梅」のようです。「桜」屋敷での「梅」にはやや違和感がありそうなのです。しかし、理解できるところでもあります。

実は、筆者の関わる例年の「花見の席」が間もなくです。それには「荒城の月」が似合いそうです。小学校で習った歌です。しかし、その歌詞の意味は、教えてもらえませんでした。今になって、無理やり訳そうとしてみます。一番の「春高楼の・・・」の「かげ(影)」は「光」のことのようです。

『昔は、年を経た松の太い幹や枝葉をものともしないで、「月の光」は座敷の杯(さかずき)にまで射(さ)していた。今、あの「力強さ」はどこに失せてしまったのか。』となりそうです。・・・特に今年は「傘寿(さんじゅ)」の「花見」です。「考えされられ」るところです。


感傷の中、今日も「工作室」に入ります。テーマは、このところの「マラカスの袋づくり」です。その「皮バージョン」の続きです。今日完成したのは、「3袋」だけでした。

部材の一部を「100円ショップ」から求めました。「コードストッパー」と「醤油注」等です。「醤油注(しょうゆづぎ)」は昔から知っていましたが、「コードストッパー(codes topper)」の存在は初めて知ります。

DSCF0013_2025-03-19-14-01-12.jpgDSCF0017_2025-03-19-14-02-15.jpgDSCF0014_2025-03-19-14-01-30.jpgDSCF0015_2025-03-19-14-01-44.jpgDSCF0016_2025-03-19-14-02-00.jpg
2025/03/19(水) 13:59