今日(2025/2/25)の最高気温は7℃です。今冬になっての最高気温です。尤(もっと)も、「冬」の定義は「12月~2月の間」です。あと3~4日で、待ちに待った「春」なのですが・・・。
前回のこの日記で、「盾の番長」の「春の雪」に触れました。「春の雪」は、「豊穣の海」の「春の雪」・「奔馬(ほんま)」・「暁の寺」・「天人伍衰(てんじんごすい)」の「第一巻目」です。
『松ヶ枝に積む春の雪 かくも清顕(きよけ)き和魂 防衛(まもら)ず何の文化ぞや 盾の番長 阿頼耶識(あらやしき)』は、横尾忠則が、番長の割腹を悼(いた)んで詠じた歌でした。当時、「週刊朝日」に載りました。
昔、この歌を訳したことがありました。「松ヶ枝に積む春の雪 かくも清顕き」は、「春の雪」主人公「松枝清顕(まつがえきよあき)」を織り込んだものです。
「阿頼耶識(あらやしき)」は、「人の存在の根底をなす意識」のようです。そして、「春の雪」は、日本文化の根底にある「ふんわりと暖かい雪?思想」の表現のようです。「和魂(にぎみたま)」は、「柔和で精熟」した「霊魂」のようです。
「防衛(まもら)ず何の文化ぞや」は、「国を守ること無しに、国の文化を論じることはナンセンスだ。」と訳せるようです。
「三島」が、そのことを、身を挺(てい)して訴えたことを、「横尾」が歌にしたようです。「ウクライナ」とダブってきます。
彼(番長)は、昭和45年11月25日に没した筈です。その後数年は、毎年11月になると奥州最北端の新聞にも取り上げられていました。しかし、10年ほど前からは、そのことに触れることはなくなり、今は、「生誕100年」だけを表面に出しているようです。
話は飛びますが、彼の没後間もなく、京都に行ったことがありました。その折、「月修寺」について訊(き)いたことがありました。「豊穣の海」の「語り部」・「本多繁邦」が訪ねた「寺」です。
しかし、多くの皆さんは、異口同音に、『そのような名前の寺は聞いたことはありません。』でした。今から55年ほど昔のことです。
今朝、津軽の歌人・中村雅之の訃報(ふほう)が届きました。昭和2年生まれの方です。彼を知ったのは、地元新聞の文芸欄に載る歌からでした。
特に記憶にある歌は、『夜更けの風呂に浸かり ハミングの仮装行列 眼を閉ぢながら』。です。
「仮装行列」は、「Cumparsita(クンパルシータ)」のことです。
彼が91歳の作品のようです。日本でタンゴが流行ったのは昭和25年頃です。それは、彼が二十歳代の頃です。若かりし頃に出会った「ラ・クンパルシータ」が、70年以上を経た今、ふと口遊(くちずさ)んだことになります。
因(ちな)みに、「ラ・クンパルシータ」の初演は、1917年4月19日、南米モンテビデオのカフェ「ラ・ヒラルダ(La Giralda)」を会場に行われました。今から100年以上も前のことです。
カーニバルの仮装行列のためにつくったとされるこの「ラ・クンパルシータ」は、演奏後、一晩で世界中に知れ渡った、という逸話があります。
やがて、ラプラタ・タンゴを代表する曲として世界に発信されます。他方、ウルグアイでは「タンゴの国歌」として愛されていきます。以来、『毎日、世界中のどこかで必ず演奏されている曲』が、「ラ・クンパルシータ」の代名詞になります。
一般的に、南米の公用語は、ブラジルだけがポルトガル語で、他はスペイン語です。日本での「ラ・クンパルシータ」もまたポルトガル語で歌われてきたようです? しかし、日本で風靡(ふうび)したのは、「藤沢蘭子(らんこ)」が唄った『去りにし面影・・・』の日本語バージョンでした。
その日本語訳は、あの、「♪好きです 好きです 好きです 好きです よしこさん・・・」で知られる落語家・林家三平によるものでした。
『去りにし面影(おもかげ)よ 今宵(こよい)もまた胸に 迫りて悩ましく 狂えるわが骸(むくろ) あてなくさまよい歩みゆくたのみなき心に我は泣きぬ 君よ今いずこ 街の酒場のもと 力つきてたたずむ ああひととき 今は望みなきやるせなのこの身 せめて今宵踊り明かそう 悩み忘れん 涙をかくしてほほえみ踊れば いとしの面影 我が胸にかえる 赤きバラの酒 飲みほしかさねて 名残(なごり)の今宵を歌わん』です。合掌。
前回のこの日記で、「盾の番長」の「春の雪」に触れました。「春の雪」は、「豊穣の海」の「春の雪」・「奔馬(ほんま)」・「暁の寺」・「天人伍衰(てんじんごすい)」の「第一巻目」です。
『松ヶ枝に積む春の雪 かくも清顕(きよけ)き和魂 防衛(まもら)ず何の文化ぞや 盾の番長 阿頼耶識(あらやしき)』は、横尾忠則が、番長の割腹を悼(いた)んで詠じた歌でした。当時、「週刊朝日」に載りました。
昔、この歌を訳したことがありました。「松ヶ枝に積む春の雪 かくも清顕き」は、「春の雪」主人公「松枝清顕(まつがえきよあき)」を織り込んだものです。
「阿頼耶識(あらやしき)」は、「人の存在の根底をなす意識」のようです。そして、「春の雪」は、日本文化の根底にある「ふんわりと暖かい雪?思想」の表現のようです。「和魂(にぎみたま)」は、「柔和で精熟」した「霊魂」のようです。
「防衛(まもら)ず何の文化ぞや」は、「国を守ること無しに、国の文化を論じることはナンセンスだ。」と訳せるようです。
「三島」が、そのことを、身を挺(てい)して訴えたことを、「横尾」が歌にしたようです。「ウクライナ」とダブってきます。
彼(番長)は、昭和45年11月25日に没した筈です。その後数年は、毎年11月になると奥州最北端の新聞にも取り上げられていました。しかし、10年ほど前からは、そのことに触れることはなくなり、今は、「生誕100年」だけを表面に出しているようです。
話は飛びますが、彼の没後間もなく、京都に行ったことがありました。その折、「月修寺」について訊(き)いたことがありました。「豊穣の海」の「語り部」・「本多繁邦」が訪ねた「寺」です。
しかし、多くの皆さんは、異口同音に、『そのような名前の寺は聞いたことはありません。』でした。今から55年ほど昔のことです。
今朝、津軽の歌人・中村雅之の訃報(ふほう)が届きました。昭和2年生まれの方です。彼を知ったのは、地元新聞の文芸欄に載る歌からでした。
特に記憶にある歌は、『夜更けの風呂に浸かり ハミングの仮装行列 眼を閉ぢながら』。です。
「仮装行列」は、「Cumparsita(クンパルシータ)」のことです。
彼が91歳の作品のようです。日本でタンゴが流行ったのは昭和25年頃です。それは、彼が二十歳代の頃です。若かりし頃に出会った「ラ・クンパルシータ」が、70年以上を経た今、ふと口遊(くちずさ)んだことになります。
因(ちな)みに、「ラ・クンパルシータ」の初演は、1917年4月19日、南米モンテビデオのカフェ「ラ・ヒラルダ(La Giralda)」を会場に行われました。今から100年以上も前のことです。
カーニバルの仮装行列のためにつくったとされるこの「ラ・クンパルシータ」は、演奏後、一晩で世界中に知れ渡った、という逸話があります。
やがて、ラプラタ・タンゴを代表する曲として世界に発信されます。他方、ウルグアイでは「タンゴの国歌」として愛されていきます。以来、『毎日、世界中のどこかで必ず演奏されている曲』が、「ラ・クンパルシータ」の代名詞になります。
一般的に、南米の公用語は、ブラジルだけがポルトガル語で、他はスペイン語です。日本での「ラ・クンパルシータ」もまたポルトガル語で歌われてきたようです? しかし、日本で風靡(ふうび)したのは、「藤沢蘭子(らんこ)」が唄った『去りにし面影・・・』の日本語バージョンでした。
その日本語訳は、あの、「♪好きです 好きです 好きです 好きです よしこさん・・・」で知られる落語家・林家三平によるものでした。
『去りにし面影(おもかげ)よ 今宵(こよい)もまた胸に 迫りて悩ましく 狂えるわが骸(むくろ) あてなくさまよい歩みゆくたのみなき心に我は泣きぬ 君よ今いずこ 街の酒場のもと 力つきてたたずむ ああひととき 今は望みなきやるせなのこの身 せめて今宵踊り明かそう 悩み忘れん 涙をかくしてほほえみ踊れば いとしの面影 我が胸にかえる 赤きバラの酒 飲みほしかさねて 名残(なごり)の今宵を歌わん』です。合掌。
2025/02/25(火)
09:22