待望の短歌集「ゆふすげ」が届きました。著者 美智子、発行所 岩波書店です。これは上皇后美智子さまの、妃殿下時代の歌466首をおさめた歌集です。出版は、この15日でしたが、東京にお住まいの友人T氏に依頼していたところ、今日(1月18日)届きました。
因みに、「ゆふすげ」は、
三日(みか)の旅終へて還らす君を待つ庭の夕すげ傾(かし)ぐを見つつ
夕暮れに浅間黄すげの群れ咲きてかの山すその避暑地思ほゆ
ひとところ狭霧流るる静けさに夕すげは梅雨の季を咲きつぐ
母のなく父病むゆふべ共にありし日のごと黄すげの花は咲き満つ
等から採った「題名」のようです。
これまでのように、「表紙(book jacket)」をつくり、「座右(ざう)」に置き、折に触れて読ませていただくつもりです。
加齢の所為(せい)でしょうか、昔のあれこれが思い出されます。「金色夜叉」の、「熱海の海岸のシーン」の「真似」をしたのは小学生5年生の頃でしたでしょうか。今から70年ほど前のことです。その折、小学生同士で、「寛一の履物は何だったか。」を小学生同士で議論したことがありました。
しかし、小学生当時はWEBの存在していない時代です。幼稚な想像に委(ゆだ)ねるだけでした。考えた末、「1月17日」の奥州最北端は、まだまだ雪の頃だ。「ゲタ」は考え難い。となり、多くの人の答えは「長靴」でした。他に、「革靴」の意見もありました。
今、何でも知っているWEBにお訊ねすると、「熱海(あたみ)の「像」」が出てきます。その「モニュメント」の「寛一」の足元を覗(うかが)うと、「ゲタ(下駄・足駄)」のようです。尤も、熱海の像は、単に、「それらしく」見せるための演出であったのかも知れませんが・・・。
その、「貫一」のセリフ、『来年、一月十七日になったならば・・・・』。の「今月今夜」が昨日でした。
或いは、芭蕉(ばしょう)の、『・・・夢は枯野をかけ廻る』のように、この歳の夢は、ただ、「・・・知らない枯野を駆け回るだけの夢」だけになってしまったのかも知れません。
土曜日の今日は「食料買い出しの日」です。億劫(おっくう)ながら出かけました。気温は氷点下ですが、雪は、昨晩の除排雪で殆(ほとん)どなく、無事の帰宅に至りました。