いつになく暑い年です。この暑さは何らかの作用によるようです。しかし、天気予報士はそれには触れず、相変わらず、西日本、東日本と意味不明の表現を繰り返すだけです。
「なんらかの作用」というのは、エルニーニョ、或いは、プログラムされた天体のメカニズムの一部、若しくは宇宙の気まぐれ等、です。何よりも、「化石燃料」による「地球温暖化」が考えられそうです。
このことについては、つい先般まで、機関銃のように毎日報道されていました。しかし、いつの間にか、突然消えてしまいました。明らかに、何らかの「力」が働いたことが想像できます。
それには、国家権力による情報のコントロールも考えられそうです。尤も、いずれであったとしても老骨には無縁の世界のようでもあるのですが・・・。とはいうものの、頻(しき)りに違和感を覚える昨今です。
一昨日の朝刊に、次の「短歌」が載っていました。『この家のすべてを知りぬ憚(はばか)りの木窓直さず60年に』。
作者がお嫁に来たのが二十歳頃とすれば、今は、筆者と同年配の80歳ほどです。実は、筆者もまた、築120年ほどの家に棲息(せいそく)させて戴いています。
必然的?に、手を掛けなければならないあちらこちらがあります。然りながら、「来し方」のあれこれが沁み込んでいます。身につまされる「歌」です。
徒然(つれづれ)に「乾燥葱(かんそうねぎ)」をつくろうとしています。このところの「ドライフルーツづくり」の続き、です。夜食用の「インスタントスープ用」です。
「演奏会」の準備をしています。尤も、実現の定かではない演奏会です。しかし、高齢であることを忘れていました。数十年前に弾いた曲は弾けなくなっています。
それでも、「運指」には微かな記憶が残っているようです。その記憶を辿(たど)ると、2日ほどで蘇(よみがえ)ってきます。現在、アルベニスの「アストーリアス(伝説)」に挑んでいるところです。