中学時代、『梅雨は関東以南だけにある大気現象で、東北には存在しない。』と、習いました。その時、「何故」と思うとともに、「北への疎外」を感じた記憶があります。しかし、最近の天気予報は、且て「存在しない」とされた「北の梅雨(つゆ)」を取り上げています。
この、「手のひら返し」は何なのかを考えているところです。まず、この60年間の気候の変化が考えられます。他方、「奥州最北端なんぞは、真摯に紹介するには及ばない。」の、考え方の存在もありそうです。その殆どは、為政者はじめ博識の皆さんの「定説」や「面子(めんつ)」等によるものと思ってもいます。
後者については、他にも「心当たり」があります。筆者の小学校時分の国語辞典は、「蝦夷(えみし)」を、『北の未開地に住む野蛮人』と訳していたようです。仮に、その「定説」が奈良時代に確立されたとすれば、「奥州最北端」は無論、白河以北の存在すら認識されていなかった頃です。
余談ですが、この「定説」を「北を蔑視する単なる偏見」として、奥州最北端某高校一国語教師が校正を訴え、それを見事に果たした。と聞いたことがあります。それは、単なる「誤植の訂正の類」ではなく、平城京の時代から、時の為政者等によつて受け継がれてきた「既成概念」の否定であったことになります。ガリレオ・ガリレイの「地動説」の類(たぐい)です。
それを思う時、昨今の天気予報が、『北には梅雨は存在しない。』の定説の瓦解のようにも思えてきます。その中での「時雨(しぐ)」れて止まない7月10日午後の「雨」です。60年以上前の中学生の頃の溜飲(りゅういん)が、今、下がる思いがしてきます。
工作室の「整理整頓」は、スタートから10日ほども経っています。それでも、「成就」の程度は「まだ道半(みちなか)ば」です。作業の遅れにはいくつかの理由がありそうです。まず、やることが多過ぎたことです。特に、木材の種類や量、「分(ぶ)の違い」等の多いことが挙げられます。
他に、自身の能力の過信もあったようです。若い頃の体力や気力、想像力等を基準にした計画だったことになります。反面、整理整頓は「空白」を生みます。その「空白」には別の工具等が収まります。そして、その工具等のあった場所には新しい「空白」が生じます。その繰り返しです。まるで「ドミノ倒し」のように片付いていきます。
単に、「右のものを左に置き換える」だけで、以前(before)とは全く異なる様相を呈してくれるのです。今日は、片付いた作業台でコーヒーをいただきます。10日前には想像できなかった異空間での「一服」でした。
ふと、天井を見上げると緑の葉が茂っています。外壁の隙間から侵入してきた、ここ数年来の客人です。




