プログラム用原稿づくりは、いよいよ「Danny boy(ダニー・ボイ)」の最終回、(5)です。テーマは、この曲にまつわる個人的な記憶の一端のご紹介です。

60年ほど昔(筆者の高校時代)、この歌をS.S君が唄いました。実は、当時のA高校は、土曜日は午前授業でした。我がクラスでは、時折、その午後を狙ったクラス会がありました。内容は、単に、それぞれが好き勝手なことを発表し合う交流会です。

芝居(かな手本忠臣蔵、金色夜叉等の寸劇等)あり、数学の文章題の模範解答づくりあり、そして歌(映画の主題歌)あり、また、サックスやギター等の演奏あり等、何でもありの交流発表会でした。その頃の筆者は、お勉強そっちのけで格闘技に没頭していました。それは、不得意な運動を克服したかったからです。

しかし、中には、東大はじめ超難関大学を目指すガリ勉連中もいました。それら得体の知れない連中が集まったクラス会です。それは、普段の学校生活では見せない素顔を見せる瞬間でもありました。S.S君は、そのクラス会で歌ったのです。

当時、この歌は、ハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)やプレスリー(Elvis Presley)で知られていました。筆者も、T.Y君から借りたレコードで覚えました。尤も、「the pipes, the pipes are calling」の意味の何たるかを知らない頃でした。まして、『pipes(いくつかのパイプが)あちらこちらの峡谷や山から下りながら呼んでいる』を理解する力の無い頃でした。

しかし、その時のS.S君の唄は、同級生の多くを感動させ魅了させました。詩情溢れる歌唱力だったのです。因みに、「pipes」が、「バッグ(袋)・bag」と「パイプ・pipes」を合体した語のスコットランド民族楽器「バグパイプ・bagpipes」であることを知ったのは長い時間を経てからのことでした。

「Danny boy」は、アイルランドに古くから伝えられる、自然環境の美しさや家族愛を唄ったものです。しかし、イングランド人が唄うのとアイリッシュ(Irish・アイルランド人)が唄うのとでは全く異なる訴えがあったようです。そして、戦争による徴兵の経験の有無でも全く異なる次元と言えそうです。

ベラフォンテもこれを歌いました。切々とした歌でした。彼は数回来日したようです。三島由紀夫(盾の番長、豊穣の海の著者)もベラフォンテの1960年日本公演を観たそうです。三島は、次のような感想を残しています。『彼(ベラフォンテ)のステージには、悲痛な奴隷の歴史、力と陽気さ、繊細さ、悲哀、そして素朴な人間の魂があった。』、と。

ベラフォンテ自身もアメリカ・ニューヨーク・ハーレム生まれの黒人です。あるいは三島は、ベラフォンテの歌に、アイルランドの歴史を見たのかも知れません。因みに、番長が割腹し、介錯を受けたのは、その数年後の1970年(昭和45年11月25日)でした。

やがてこの歌はアイルランドからの移民によってアメリカに伝えられます。1960年代の「虹とともに消えた恋」(PPMピーター・ポール&マリー)のコーラス部分『Shule,shule shulee-a-roo shule -a-rak-shule,shule-a-ba-ba-coo』にも反映されているようです。

PPMは、且て、筆者も唄いました。勿論その頃は、「シュール シュール シュラル・・・」が何のことかは解りませんでした。ゲール語(古アイルランド語・ケルト語)であることを知ったのは後年になってからです。

奇遇というべきか、先般、BS103でケルト文化の紹介がありました。その中で、アイルランドの山々に囲まれた夏の草原も紹介されました。中でも、アイリッシュハープ伴奏による「danny boy」と「庭の千草('Tis the Last Rose of Summer)」は圧巻でした。
2023/04/05(水) 07:29