毎日の朝刊一面の隅に「県句集」の一句が紹介されています。今日は、『天窓に千筋の春陽溢れおり』です。季語は「春陽」。大意は『寒さは厳しいが日差しは春に近づいている。天窓からあまたの光が差し込んでいる。』のようです。その句のように今日は、間もなくの春の訪れを思わせる明るさです。
越冬中です。多少ながらも潤沢な時間に恵まれているところです。今日の課題はコンサートのプログラムづくりです。第1回コンサートは、4年ほど昔の2019年9月14日でした。今日は「第2回コンサート用」プログラムの作成です。以前つくった原稿の校正です。尤も、この世情に加え、自身もまた「寄る年波」です。実現の可能性の極めて低い「コンサート」ではあるのですが・・・。
プログラムには50曲ほどを載せるつもりです。その内容は、それらの解説やエピソードそして自身との拘(かか)わり等の紹介です。必然的に駄文の多いものになります。現在のボリュームはA4サイズ60ページほどのようです。
今日は「荒城の月」に手をかけます。現在の小学校教科書への採用は定かではありませんが、筆者の頃は老若男女問わず誰もが歌える歌でした。
歌詞の一番は、「春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして 千代の松が枝わけいでし むかしの光いまいづこ」です。しかし、いざ訳す段になると全く理解できないことに気づきます。
そのひとつが「かげさして」の「かげ(影)」です。実は、これまで、「かげ」を「光に物があたるとき、その後方にできる黒い像」と思っていたのです。しかし、それでは「・・・めぐる杯かげさして」の「意味がなさない」のです。
土井晩翠の詞です。どうやら、現在は使われなくなった「古語(こご)」を使ったようです。それに加えて表現が文学的に過ぎるのです。折角のWEB時代でもあります。この機にあらためて調べ直すことにします。
その結果、「かげ」にはいくつかの意味がありました。
一般的には、
① 光の反対側にできる黒い像。
② 水や鏡に映る形やもの。
③ 眼に見える姿や形。
④ 思い浮かべる人の顔や姿。実態の無いもの。
⑤ 兆候。
⑥ つきまとって離れないもの。等々です。
しかし、古語ではそれらとは異なり、「日、月、星、ともしび」などの「光」の意味が最優先されるようです。土井晩翠は、「かげ」を「光」として使っていたと考えられます。それらを参考に、小学校で習った「荒城の月」を訳そうとしてみます。