中学生の頃、社会科のM先生が、『君死にたまふことなかれ』を朗読しました。それは、年度末の、まだ雪のチラつく頃でした。しかも、間もなく「終業ベル」の鳴る時刻だったことを思い出します。

「気合」の入った、「息せききった」ような朗読でした。おそらく、「指導計画案」に載っていない講義だったのでしょう。その講義を今も忘れることができないでいます。


『あゝをとうとよ君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生れし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや

堺の街のあきびとの 舊家(旧家)をほこるあるじにて 親の名を繼ぐ君なれば 君死にたまふことなかれ 旅順の城はほろぶとも ほろびずとても、何事ぞ 君は知らじな、あきびとの 家のおきてに無かりけり 君死にたまふことなかれ

すめらみことは、戰ひに おほみづからは出でまさね かたみに人の血を流し 獸の道に死ねよとは 死ぬるを人のほまれとは 大みこゝろの深ければ もとよりいかで思されむ

あゝをとうとよ、戰ひに 君死にたまふことなかれ すぎにし秋を父ぎみに おくれたまへる母ぎみは なげきの中にいたましく わが子を召され、家を守り 安しと聞ける大御代も 母のしら髮はまさりぬる

暖簾のかげに伏して泣く あえかにわかき新妻を 君わするるや思へるや 十月も添はでわかれたる 少女ごころを思ひみよ この世ひとりの君ならで あゝまた誰をたのむべき』


朗読を終えたM先生は、『私が社会科の教師になったのは、次代を担う皆さんに、この詩を歌いたかったからでした。』と、語りました。戦場に散る若人の「鎮魂歌」であり、理不尽への訴え、だったのです。今から60年昔のことです。しかし、昨日の出来事よりも、鮮明に残っている記憶です。100年ほど前の「晶子の歌」は、まさしく、「夜霧のかなたに別れを告げて・・・。」の代弁だったことになります。

2022/10/20(木) 14:03