大量の重い雪が降ったのはつい1週間ほど前です。しかし、ここ数日続く高い気温と晴天が、1週間前を相当前のことと思わせています。適当な譬(たと)えではないのですが、『喉元(のどもと)過ぎれば・・・』の、諺(ことわざ)のようです。

昔、清少納言が「すさまじきもの」を書いています。「興ざめ」や「しらける」のような意味のようです。それを拝借すれば、この時季の「すさまじきもの」の中に、雪融け後の、手をかけていない庭があります。或いは、寺山の、『村境の春や錆びたる捨て車輪・・・』にも、この「すさまじきもの」のニュアンスが織り込まれているようでもあります。

庭には、まだあちらこちらに残雪があります。しかし、雪融けは顕著に進んでいます。それにつれて、日ごとに「すさまじきもの」が明確になってきています。

昨秋、掃除した後に雪を迎えたものの、春の雪融け後の掃除は何回も必要です。また、「雪囲い」の解体復元はまだです。麗(うら)らかな陽光の中に取り残された「雪囲い」は、極めて「すさまじきもの」です。


昨日から「庭仕事」を開始します。今日は「小枝の整理」です。昨秋剪定(せんてい)した枝が長いまま、山のように積まれています。それを、冬の燃料用に、30cmほどにカットします。

ツールは、太い枝葉にはチェンソーです。そして、細い枝には鉈(なた)を使います。午前中を要して、ある程度の目途(めど)をつけます。しかし、ため息が出るほど、まだまだ残っています。

庭仕事は、10ヶ月後の再び冬を迎えるまで、毎日続きます。当面は、資材置き場づくりです。これから解体する「雪囲い」の材料の収納庫です。老いたればこそ、庭仕事は歓迎するところです。鈍(なま)った体を回復する良い機会なのです。

清少納言は、「すさまじきもの」に対して「うつくしきもの」も、彼女独特の感性を尺度に、定義づけしています。「瓜(うり)にかきたる稚児の顔」や「すずめの子」です。

所謂、「小さいもの」が「うつくしきもの」のようです。その意味では、雪が融けた跡の「ギョウジャニンニク(行者大蒜)」がそれにあたります。生命の息吹とともに健気(けなげ)さと儚(はかな)さを秘めているようなのです。


今日の朝食は、昨日つくった「押し寿司」です。正確には、朝も昼も、です。期待した結論は失敗の域です。やはり、ヒバの香りが強すぎます。

酢で数回拭いていても、14時間近く、重石(おもし)で押した結果です。これに対する考えられることに、押す時間の短縮があります。また、根本的には、全体に漆(うるし)をかけることもあります。

レシピ的には、飯(めし)の量が多すぎました。ネタにも工夫の余地がありそうです。それでも、初めての試みとしては大成功と言うべき、のようです。次回は、ウルチ米ともち米を半合ずつにするつもりです。

2014/03/27(木) 17:23