
9℃にはなる、と聞いていましたが、結構、寒く暗い日です。朝の沐浴からあがる時にもまだ暗いです。日の出の時刻は、まだまだ遅くなり続けるようです。来月の今日の22日までです。
それからはまた、一日一日、早い夜明けになります。あと少しです。よく解りませんが、日に日に大きくなっている「特定秘密保護法案」への反対も同じ心理が働いているのかも知れません。それは、情報から隔離されることによる盲目化を憂いてのことのようです。
この議論の中、「もっこ」を思い出しています。奥州最北端の子守唄です。その中に、『・・・それでも泣けば山さ捨ててくる・・・』があります。幼児に対して、山に捨てるぞ、と言っているのです。
同じような文章がいたるところにあります。童謡に、『歌を忘れたカナリヤは後ろの山に捨てましょか・・・』、『シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで 壊れて消えた・・・』、『赤い靴 履いてた 女の子 異人さんにつれられていっちゃった・・・』等々です。
いずれも、幼児に聴かせるにはどぎつく怖い内容です。しかし、子供の頃から何気なく親しんできた詩です。この本来の意味するところがよくわかりませんでした。以前、松岡正剛が、彼の著書の中で次のように言っていました。
『これらの唄は道徳を説いているのではなく、どんなことも安全が保証されているものではなく、予定通りに物事が進むとは限らない、無常を伝えているのです。』『私たちの人生というのは、何がおこるかわからないもので、世界も社会も家族も町も人形もシャボン玉も、みな壊れやすいものなのだということを認識させようとしています。そのことによって、逆に、現在の幸せが如何にかけがえのないものであるかを認識させているのです。』のような意味だったようです。
その意味では、この法案は、2011.3.11の原発の故障や津波、そして先般の、フィリピンの大規模な天災とも関連があるようです。勿論、日常の突然発生する不幸とも重なってきます。
現在を愛おしみながら、如何に鍛えてやるか、そして、どのような状態で次の世代にバトンタッチするかが問われているのかも知れません。
法案が通れば、多くが、判断する材料も機会もないまま時間が過ぎていきます。30年後、60年後の開示とはいうものの、既にそれを判断する能力は失せています。日常は、判断すること無しに、ほんの一握りの国会関係者の胸先三寸に身を委ねる日々になります。
赤子のように、です。個人も国も世界も宇宙も一握りの裁量に任せられることになります。或いは、「特定秘密保護法案」への反対は、そのような不安を憂いてのことなのかも知れません。
少しの時間ですが、今日も工房作業を楽しみます。テーマは、昨日に続いて「額のコーナー」の処理の確認です。昨日の時点では「留め形相欠き接ぎ」の予定でした。今日、実際のフレームを使ってリハーサルをしてみます。簡単に思えたのですが、結構、手ごたえがあります。加工する材の前後、上下、左右の判断が難しいのです。パズルに似ています。
そして、この接ぎ方では問題があることが発覚します。実は、フレームは事前に漆で仕上げられています。その時点で「面取り」もしているのです。結局、本来、平面と平面とが出会ってもらいたいところが、平面と曲面が出会ってしまうのです。
この時点で、この「留め形相欠き接ぎ」は採用しないことにします。残されたのは、これまでの「簪(かんざし)」を挿し込む方法です。しかし、折角の機会でもあります。「ビスケットジョイナー」を検討したくなります。
カタログでは時折拝見しているのですが、触ったことのない未知の世界です。実は、「額」もそうですが、ケヤキやエンジュ等、あれこれと繋(つな)げたいものがあるのです。ま、勉強のつもりです。
今日は、何をしても上手くいかない日でした。そして、日記もシリアスになってしまいました。しかも、よく解らないのに、です。反省しています。
2013/11/22(金)
17:10