
久しぶりに暖かい日です。ここ毎朝、下着のシャツは長袖に決めています。しかし、今日は迷います。結果的には半袖でも良かったようです。
「第20回寺山修司忌」に参加しました。A高校同期生のK氏(文筆家)、F氏(写真家)そして他県から仲間に入ったY氏(事業研究所)のお3方によるトークイベントが圧巻です。
寺山は筆者の10歳上です。世代は違っていても、寺山の高校時代のことに触れるとき、共通な因数に出会います。まず、先生の名前です。懐かしいです。
寺山はA高校入学後、文芸部に入ります。そのときの顧問がO先生です。東大法学部首席卒業生です。そのO先生が最後に担任したのが3年6組の筆者のクラスです。勿論、不肖の終え子です。

また、K先生の名前も出ます。世界史の西洋史が得意でした。特に、フランス革命のジロンド党とジャコバン党では熱の入る先生でした。そのことから、K先生のあだ名が「ジャコ」になります。
当時のA高校では、ほとんどの先生にあだ名がついていました。因みに、前述のO先生のあだ名は「ドラキュラ」です。これは単に、その風貌によるものです。他に、「ボンズ」、「センスイカン」、「クモスケ」、「フグ」、「ダンブリ」等がいました。
寺山が「田園に死す」で残した『村境の春や 錆びたる捨て車輪 ふるさとまとめて花いちもんめ』は、奥州最北端のどうしようもない寒村の程度を歌っているようです。しかし、実際には、それほどまでに「故郷が恋しい」という反語的表現のように解釈できます。
同様に、「われに五月を」と「空には本」の両方に載っている、『マッチ擦(す)るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや』は、「世の中の状況が解からないのに、一瞬の命を奉げるだけの価値はあるのか。」という問いかけのようですが、実際には、「それほどまでに故郷は恋しいものである。」と歌ったものと思われます。

その奥州最北端の八甲田の「雪形」が「yZ」になってきています。残雪が残す模様です。この季節に寺山も見た「雪形」です。八甲田の「yZ」は、初夏の知らせとともに、田植え時期の目安です。やはり、この2~3日は、あちらこちらで、遅れていた田植えが行われています。
今年の春は、いつ来て、いつ過ぎたかが明確ではありませんでした。今日も、気温はあがったものの、夕方の風は冷たいです。その、遅い春の中、八重桜が満開です。赤いツツジ(躑躅)が間もなく咲きそうです。
河原のニホンサクラソウ(日本桜草)はガンガンと咲いています。しかし、周囲の草取りを怠ったことで、草の中に咲いています。数年前に津軽の庭からいただいたものです。近いうち、草取りの時間は生まれそうです。