
昨日の日記は数編に及んでしまいました。恐縮するところです。実は、この日記の一編に載せる写真は、マックスで3枚です。このところの目くるめく草花の芽出しを一編に収めることが出来ませんでした。
早朝の沐浴の際、見事な椿を見ます。T旅館の露天風呂です。八重の「椿乙女」のようです。一般的な椿は赤です。次に白です。この「椿乙女」はバラ(薔薇)のようです。朝から満ち足りた思いになります。
我が狭庭にも変化があります。将来、どうなるか解からない正体不明の芽が出ています。正体不明というのは、記憶力減退と同一の意味があります。昨夏親しんだ草花を忘れているのです。

雪融け直後のまだ芽を出していない庭を眺めるとき、記憶力の衰えを思い知らされます。どこの場所に何が咲いていたかが思い出せないのです。
大切にしている筈の山芍薬(やましゃくやく)、八角(はっかく)、熊谷草(くまがいそう)、山荷葉(さんかよう)等の場所も失念しています。丁度、冬、雪が全てを覆った瞬間に、仕舞い忘れたベンチや植木鉢を忘れてしまうのに似ています。
春、雪が融けて、初めて秋に仕舞い忘れたものが出現する瞬間の場面です。寺山の表現したかったのは別の世界のようですが、『村境の春や 錆たる捨て車輪 ふるさとまとめて 花いちもんめ(一匁)』を思い出してしまいます。

そのため、春の庭の散策は、渡石(わたりいし)の上だけを歩くことにしています。出かかっている芽を踏み潰さないためです。離れた場所からは、つい、自己主張している芽に気づかないことが多いです。
今日は、輝く青空と雨が交互にやってきます。奥州最北端では、まだ、小夜嵐に吹かれる桜は無いものの、三島が残した『散るをいとふ 世にも人にもさきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐』を思い出しています。
「一人静」が咲きそうです。