今日は日曜日です。庭の手入れ後に工房内の掃除の断行です。ここずっと気になっていた課題です。気になってはいても取りかかれなかったのは、時間と気力が伴うからです。断行という表現は決して大げさなものではないのです。掃除の内容は工具や材料の整理整頓から始めます。部材づくりは終えてはいますが、組み立て途中の状態がしばらく続いています。その中に工具等が混じっています。それらを編集してやります。この編集作業は、数学の同類項をまとめる、という作業に似ています。いわば整理整頓の基本です。
この編集作業の段階で意外な発見をします。部材と工具に混じって、眼鏡(めがね)とライターが出てきます。どういう訳か4個ずつです。このようなものが何故こんなにも混じっているかが不思議です。予期していなかったものがあれやこれやと姿を現します。
丁度、春の雪解け跡から姿を見せるベンチやプラスチックの桶に似ています。雪で覆われている状態では、その下に何があるかを完全に失念しているのです。覆いをとった瞬間に現れる現実との遭遇はドラマチックでもあり不思議です。
編集したものを一旦、別の場所に移動して大鋸屑(おがくず)等を削除し、綺麗になった場所に戻してやります。そして床を掃きます。この作業をあちらこちらのコーナーで行います。これだけで午前中を要します。これだけで工房内は一変します。そして、突然、創作意欲が湧いてきます。この掃除後の清涼感は何度も味わっていますが、どうしても後回しになる掃除です。
午後、講演会に参加します。「源氏物語」です。半世紀前の高校時代にS先生やH先生に教わった記憶があります。それ以降は敢えて読もうとしなかったジャンルです。面白味を見いだせなかったのです。紫式部とされている作者の意図に気が付かなかったからでしょう。今回は、国内で最も信頼できると定評のある鈴木日出男氏の解説です。開口一番、「源氏物語」の「物語」の意味を解説してくれます。ドキッとします。これまで、物語の定義については考えたこともなかったのです。
『物語は、普通ではない物珍しい人間世界の在り方の紹介です。その特殊性を紹介することで、人間というものはこういうものかも知れない、そして、その普通性を読者に考えさせるものです。』と鈴木氏は訳します。初めて出会う定義づけに驚きます。見事です。そして、恐れ入ります。
そしていよいよ『雨夜の品定め』の場面の頭中将(とうのちゅうじょう)の、夕顔との話に入ります。これは、桐壷(きりつぼ)から反映された帚木(ははきぎ・ほうきぎ)の場面です。
山がつの 垣ほ荒るとも 折々にあはれはかけよ 撫子の露
咲きまじる 色はいづれと分かねども なほ常夏にしくものぞなき
うち払ふ袖も 露けき常夏に あらし吹きそふ 秋も来にけり
高校時代に目にしている歌です。全体の意味は解かっているつもりですが、局部的には曖昧です。そして、「ことば」使いの技も理解できなかった歌です。結局、面白味を感じることのできなかった歌です。
1首目の冒頭の「山がつ」は「きこりや杣人( そまびと)」等の「山人(やまびと)」のことのようです。教えていただけなければ訳せない言葉です。
また、最初の歌に使われている花は「撫子(なでしこ)」です。次に続く2首には「常夏(とこなつ)」が使われています。この「とこなつ」は、「なでしこ」と同じ花です。この「撫子」と「常夏」が明確に使い分けられていることに恐れ入ります。
「撫子」は「(撫でし)撫でてあげた(こ)子ども」で、親子関係を表現しています。他方、「常夏」の「常(とこ)」は、婉曲的には「床(とこ)」を表しているのだそうです。これは男女関係のことです。よく解かりませんが、源氏物語にはこのような読み替えがいたるところに使われているのかも知れません。だとすれば、文章の真意を解読するには何百回もの熟読と、曖昧な言葉を明確にさせる必要がありそうです。そうでなければ、紫式部が著したといわれる文章からは面白味を得られないことになります。丁度、暗号を解読するようなものです。
今から1000年以上も前の平安時代の常識をもとに高校生が理解するには無理のある世界です。この歌の次が「夕顔」です。今日のメインテーマです。しかし、次の会合のために中座することになります。予(かね)て計画していたsymposium(シンポジウム)です。古代ギリシャのプラトンの饗宴を真似た「キノコバージョン」です。
・・・長い文章になってしまいました。後編は別シートに載せることにします。
2012/10/21(日)
09:31