雨が上がり、早朝から眩(まぶ)しい白雲と青空です。沐浴の前に狭庭を巡ります。ツツジが終わり、サツキになり、そのサツキも多くは終わろうとしています。しかし、今、その中の遅咲きのキンサイ(金采)の花が盛りです。

実は、一般的でないこの花の名前を最近になって知ります。半世紀以上も同居しているにもかかわらず、です。少し恥ずかしさを覚えているところです。

正式には「十二金采」というようです。花弁のそれぞれは細く、色は赤系統です。系統、というのは、どのような表現が適しているのかの判断に迷うことからです。茜(あかね)、緋(ひ)、朱、臙脂(えんじ)等の言葉を使いたいところです。

「茜(あかね)」は英語でscarlet(スカーレット)です。黄味がかった赤の意味のようです。日本では織物の「茜染」で馴染みがあります。植物のアカネの根で染めてできる暗い赤です。夕暮れの空の色の形容にも使われています。

このアカネをもとにして作られる色が「緋色」です。英語ではmadderです。これは茜色よりも明るく鮮やかな赤を指すようです。『青は藍より出でて藍より青し 』の図式のようです。

朱色の定義も難しいです。もともとは天然鉱物の辰砂(しんしゃ)の色のようです。別名、賢者の石、丹砂、朱砂と言われてきたようです。日本では「丹(に)」と呼ばれているようです。今は銀色の「仁丹」は、もともとは赤かったようです。


またまた話は飛びますが、赤い花、「丹花」を使った歌を思い出します。

『丹花を口に含みて巷(ちまた)をゆけば 畢竟 (ひっきょう)虞(おそ)れはあらじ』です。

「岡本かの子」の作品です。この歌を、『自分の主義主張を明確に外に発信することで、敵は居なくなる。』と勝手に訳しているところです。口にくわえる赤い花はバラなのかも知れません。

話は戻りますが、今の時代では、これまで数々の色を見事に表現してきた言葉の多くは一般的でなくなっているようです。キンサイ(金采)の花の色をどのように表現したらよいのか右往左往している有様です。


「ユキノシタ」の花が散り始めています。花は、パラリとしています。ダイモンジソウ(大文字草)に似ています。ここ数日、目を向けてやれなかったことが悔やまれます。

この「ユキノシタ(雪の下)」の名前もよく理解していないところです。葉が産毛(うぶげ)に覆われていて、雪が降り積もった下であっても健在な葉です。この状態の所以(ゆえん)のようです。

しかし、或いは、このハラリとした花を雪に見立てているのではないか、とも思いもします。ダイモンジソウが秋になって咲くのに対して、「雪の下」は初夏に咲いているのです。

この葉は、衣をつけて「てんぷら」でいただくそうです。これを「白雪揚げ」と表現されるそうです。昔、菊の葉の天ぷらはいただいたことがありますが、「雪の下」は未経験です。婉曲的かつ文学的過ぎる命名です。奥ゆかし過ぎる文化を感じます。


「キウイ」が咲いています。まだ雄花(おばな)だけです。雄花が散るころに雌花(めばな)が咲く筈です。毎年500個ほどの実がなりますが、昨秋はほんの少しだけでした。

花との出会いは拒(こば)むものではないのですが、このキウイについて当面している課題があります。伐(き)るか伐らざるべき、かの選択を迫られているのです。

実は、枝が元気良すぎるのです。キュウイの枝は水平に6~7mも伸びていきます。その枝先は触れたものに見境なく絡(から)みつきます。エントツ(煙突)、松やカエデ等の立木、テレビのアンテナ、棚、四阿(あずまや)等に、です。

更には、工房内にも侵入してきます。僅かの隙間から入り込み、室内で堂々と青々とした葉を茂らせるのです。お行儀のよくない枝をカットすれば良さそうですが、これがまた困ることになります。

切り口から樹液が出てくるのです。丁度、蛇口を閉め忘れた水道のように、です。それも延々と、です。これを伐ることは、おそらく、樹勢を著しく損ないそうです。

結局、躊躇せざるを得ない結果になります。『窮鳥(きゅうちょう)懐(ふところ)に入れば猟師もこれを殺さず』 の心境になるのが不思議です。悩むこと頻りの人生です。

2012/06/25(月) 18:51