昨日まで遠方に出張します。単純な空間的移動距離は約2000kmの2倍です。しかし、実際には7000kmにもなったようです。

実は、一昨日の奥州最北端は厚い雲に覆われ、引き返すというおまけがついたのです。このような状態を「欠航」と表現することを初めて知ります。時間的移動距離は3日間です。物理的には奥州最北端から九州南端までの移動です。

どの地も緑で覆われています。しかし、よく見ると、様子は違っています。まず、竹です。奥州最北端の、細いチシマザサ(千島笹)、別名ネマガリダケ(根曲竹)に対して、九州は太い竹です。少し驚きます。

そして、あちらこちらの畑に黄色っぽい何かが密集しています。どうやら麦のようです。この時期の黄金色に驚きます。やはり、南北2000kmの違いは大きいです。しかし、逆に、様子が同じことにも驚かされます。九州でもサツキが咲いているのです。既に終わった、と認識していたのです。


話は飛びますが、春の桜前線はジワリジワリと、そして明確な時間をかけて北上します。その時間差は1ヶ月以上もあります。サツキにはその時間差が無いのです。これまで認識していなかった世界です。驚きの「サツキ前線」です。

冒頭の写真は竹田の「岡城跡」から撮影したものです。瀧廉太郎が作曲し、土井晩翠が詞をつくった「荒城の月」の舞台です。どこからともなく「荒城の月」や「花」の曲が流れてきます。奥州最北端にも阿久悠がつくった「津軽海峡冬景色」が流れる仕掛けがあります。ごく一般的のようです。

「津軽海峡冬景色」は、ボタンを押すことで曲が流れる仕掛けです。しかし、「荒城の月」にはそのボタンらしきものが見当たらないのです。そして、ある瞬間にメロディーが流れるのです。やがて気づきます。答えはトイレです。

水を流すと曲が流れる仕組みになっていたのです。苦笑すること頻り(しきり)です。しかし、その是非は兎も角、文化の違いを見せつけられます。


この「荒城の月」は、昔、小学校で習いました。大好きな曲のひとつです。「ミミラシドシラ ファファミレミ」だった筈です。しかし、当時、習った旋律のほかに別のものがあることが一般的になります。

「ファファミレミ」の「レ」に♯がついたパターンです。「岡城跡」のものは、このシャープのついた旋律です。少し納得します。


残念なことは、小学校の音楽の教科書から「荒城の月」が削除された、という噂(うわさ)です。『昔の光今いずこ』、の詩の内容の所為のようです。しかし、子供の成長するための栄養の中には、ハッピーな要素だけではなく、悲しみや挫折等の要素も必要な筈だ、という考え方もあります。

挫折を味わったことのない文科省の優秀なお役人には理解できない世界であるのかも知れません。


数日ぶりに帰宅します。「二人静(ふたりしずか)」が咲いています。「一人静」に1ヶ月ほども遅れたようです。「一人静」に比べて、葉の艶(つや)は少なく、1本の茎に数本の白い花をつけています。何個の花をつけていても「二人静」と表現しているところが文学的です。

2012/06/09(土) 07:41