今日も良い天気です。早朝から、狭庭の片づけです。一冬で雑然となっているのです。まず、シンビジュウムのラックを移動します。昨年の秋から廊下に置きっぱなしのシンビです。気になっていたのです。

この冬は一滴の水も与えませんでした。持ってみると発砲スチロールのように軽いです。しかし、葉は緑です。何とか生息しているようです。しかし、これ以上水を与えないのは無理のようです。

今は亡き、江尻光一さんが、外に出すのはソメイヨシノの咲く頃です、と言っていたことを思い出します。シンビの鉢は細長いです。そのまま置くと頭負けします。数年間考え続けた結果、特製のラックをつくります。

冬の間は軒下に置いていましたが、晴れて雨のあたる場所に移動してやります。40~50鉢あります。和風の庭に置くギリギリの洋物です。庭の隅の目立たないところにセットします。カラカラに乾いた鉢ですが、おそらく復活してくれそうです。


雪融け後の庭は厄介です。うっかり歩くと、折角出かかった芽を踏み折ることになります。先日、パキパキパキと音がします。ドキッとします。どうやら出始めた「一人静」のようです。

『静や静 静のオダマキ繰り返し 昔を今になすよすもがな』の静御前から命名されたようです。

話はとびますが、若い頃、高木彬光の「成吉思汗の秘密」に惹かれました。尤も、今も、ですが・・・。成吉思汗は、『吉成りて水干を思う』です。水干というのは静御前の舞台衣装です。頼朝に追われた義経は、この奥州最北端を経て日本を脱出します。その後、中国大陸に渡って世界を制覇します。

その原動力は、大陸から離れた日本の静御前に送るメッセージの伝播力を意識してのものです。成吉思汗と名のって、『俺はここに居る』というメッセージを発していたのです。これでも静には伝わらないのか、これでもか、と、ヨーロッパまで攻めたことになります。そして世界征服を果たします。というストーリーです。

成吉思汗の辞世の詩は『我大命を受けたれば死すとも今は恨みなし ただ、故山に帰りたし』であったそうです。故山、というのは吉野山のようです。

『吉野山 峰の白雪踏み分けて 入りにし人の 跡ぞこひしき』の詩が残されています。静と別れるとき、『今は別れても必ず迎えに来る。』と言います。しかし、実際には、義経が静を呼ぶメッセージを発信していたことになります。しかし、この頃、静御前は既に他界しています。

山草の「一人静」を見るときいつも思い出します。その「一人静」がそろそろ咲そうです。


またまた話は飛びますが、「一人静」に似た花に「二人静」があります。「一人静」が一つの花をつけるのに対して「二人静」は二つ以上の花をつけます。三つの花をつけても「二人静」です。「一人静」の後に咲きます。


山葵(わさび)が咲きました。シドケ(紅葉傘)が伸びています。昼お出でになったK社長が、このシドケを見て、『そろそろ食べ頃ですね。』と言います。冗談にもほどがあります。

アイヌネギもワサビもシドケも摘むことはご法度(ごはっと)です。『可愛くて食べてしまいたい』、という表現もありますが、「可愛くて食べることは出来ない」のです。

Aホテルから納品の催促があります。午後からは必死に作品づくりです。永遠の時間が欲しいです。永遠、といっても少しも長い時間ではない筈なのです。

2012/04/30(月) 21:59