
この3日間、花の都に滞在します。勿論、メインテーマを持ってのことです。しかし、それとは別に、この機会に是非確認したかったこともあります。桜花の状態です。
実は、奥州最北端と花の都では1ヶ月ほどの時間差があります。奥州最北端の花は4月末です。それに対し、東京では3月の今頃から蕾(つぼみ)が膨らむ筈なのです。
期待していましたが、桜はまだその気配を見せていませんでした。梅が赤い蕾です。お会いする皆さんにおうかがいすると『今年の梅は2週間ほど遅れています。おそらく桜も遅くなることでしょう。』との見立てです。
しかし、1ヶ所だけ白い花を見ます。桜は白く映ります。それも30本ほども群生している林です。見事でした。1年ぶりの桜です。満足すること頻(しき)りです。
花の都とはいうものの、夕暮れから夜にかけての佇(たたず)まいは全国似通っています。衣類をはじめ多くの食事処の看板も見慣れたものが多いです。
コンピューターのWEB同様、チェエーン店になっていて全国が画一化されているからでしょうか。必然的に、料理の種類も味も画一化されていることに気づきます。残念なこと頻りです。
しかし、1ヶ所だけドキッとさせる看板を見つけます。『ゆぱんき』です。おそらく「アタウアルパユパンキ」ではないか、と思い、店に入ります。「ゆぱんき、というのはアタウアルパユパンキのことですか。」と訊きます。初老のマスターから『そうです。』の返事が返ってきます。心が小躍りします。
コーヒーをいただこうと思いました。しかし、『申し訳ありません。今日はもう閉店の時間です。』と断られます。時刻が遅すぎたのです。残念なこと頻りです。話は飛びますが、筆者に「アタウアルパユパンキ」を紹介してくれたのは、当時造り酒屋の社長さんであったセョニョールTAKENAMIです。丁度半世紀前のことです。そのころ、南米フォルクローレを奥州最北端をはじめ日本国内に紹介したのは彼だったのです。
エドワルドファルー、フロリンドサッソーネ等のフォルクローレはじめタンゴ奏者がしばしば来日していました。多くの場合、セョニョールTAKENAMIが司会を担当していました。彼自身もまたギター奏者で、何回か南米を訪れて一流の奏者と親交があったのです。
「ユパンキ」にはこれまで3回ほど会ったことがあります。彼の風貌はジャンギャバンを多少泥くさく大柄にしたものです。ゴツい体で背筋が特に強そうに見えました。ケンカが強そうでした。代表曲は「Luna tucumana(トゥクマンの月)」や「牛車にゆられて」です。
昔覚えていた歌詞は、今となっては微かになっています。時間が流れすぎたようです。何れも悲しい詩だったようです。ラ・クンパルシータ同様、その雰囲気がまた日本人をして魅了せしめたのかも知れません。右手指に緑の大きい石の指輪があったことが記憶に残っています。
またまた話は飛びますが、フランシスコ・カナロが演奏した「最期の盃(ラ・ウルティマ・コーパ)」があります。あの頃、友人のY氏が、『コーパをカルティに変えると(最期の手紙)になる。』、と話していたことを思い出します。
昨日いただいた朝食のメニューを思い出せないのに、50年前のつまらないことだけが記憶に残っているのが不思議です。
今日は早朝からの工房作業です。まず、ホテルに納める作品づくりです。数日前から催促されています。東京出張中も電話があっていたのです。切り抜き作業は助手がしています。今日は仕上げ段階です。それでも、面取り(陵角の削除)、微修正、焼印押し等と2時間以上を要します。
そして「塗り」です。これは青森ヒバの椅子への「拭き漆」です。今日で2回目の塗りです。1回目の塗りから1週間ほど経っています。殆ど乾いています。まず、全体にサンダーをかけてザラザラ感を削除します。
そして「螺鈿(らでん)?」に付着した漆も剥いでやります。小さい「琴柱(ことじ)」です。弦を支える駒です。ギターではフレットにあたるものです。しかし、これを見てその正体を知る方は少ないようです。丁度「ゆぱんき」のようです。しかし、是非使いたかったデザインでした。
サンダーをかけることでスベスベしたところにも瑕がつきます。実は、2回目の塗りにはこの瑕が重要な役割を演じます。重ね塗りした漆が1回目の漆に食らいつくからです。2回目を終えて少し変身します。
実は、この椅子は細工が拙(つたな)いことから破棄するつもりでいました。半年ほど悩んだ末に最後まで仕上げることになったものです。塗ることで、その拙さはある程度はカバーできるものです。丁度ご婦人の上手いお化粧のようなものです。
2012/03/17(土)
17:54