
今日で3日続く良い天気です。結構、暑いです。しかし、明確ではないものの、秋の気配が漂(ただよ)っています。
午前中、K社長さんがお出でになります。『タカサゴユリが咲いています。行ってみましょう。』、と訴えます。即、裏山に出かけます。
広々とした公園です。案内された当初は何処に生えているか判りませんでした。指を指されてはじめて認識します。白い「鉄砲百合(てっぽうゆり)」に似ています。
よく観察すると、間もなく咲きそうな「タカサゴユリ」があちらこちらに見えてきます。しかし、ユリ(百合)であることは解かるのですが、この『タカサゴ』の意味が解からない言葉です。
「タカサゴ」は「高砂」のようです。一般的には世阿弥(ぜあみ)がつくった「能」に出る、お目出度い相生(あいおい)の松を連想します。その場所は「兵庫県高砂」のようです。祝言で謡(うた)われる「高砂」です。
しかし、『高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山の霞・・・。』の歌に使われている「高砂」は、単なる高い砂(やま)のようです。よく判らないところです。即、何でも知っているWEBにお訊(たず)ねします。
行き着いた先は「台湾」です。台湾の先住民の部族に「高砂」があるようです。そのことから「台湾」イコール「高砂」の恒等式が成り立つことになります。これが、台湾から伝わったユリを「タカサゴユリ」と命名する所以(ゆえん)のようです。初めて知る驚きの世界です。これまでの「テッポウユリ」との明確な違いは葉が細く繊細であることのようです。
他に、大小様々な大きさと色彩のトンボや花に出会います。白と薄黄色の小さい蝶(ちょう)が綺麗です。花は濃青が目立ちます。コナギ(小菜葱)、ミズアオイ(水葵)、ツユクサ(露草)等です。
白い花はオモダカ(沢瀉・たくしゃ)です。同じオモダカのつく名前にヘラオモダカ(箆面高)があります。オモダカ(沢瀉)とは違って、小さい花です。
枝の先端に、3つの白く小さい花弁(はなびら)が3組ついています。『オモダカの花は3に関係します。』とK社長さんが言う通りです。
オモダカの葉がスプリング形式の鋏(はさみ)に似ていることから「婆(ば)っちゃのはさみ」とも言われています。昔は何処にでも咲いている、生活に密着した草花だったようです。
版(板)画家の棟方志功が好きでした。一般的にはオモダカは夏の花として扱われています。この暑さです。まだ夏と考えても良さそうです。
さて、「梅干づくり」が佳境を迎えています。塩漬けしたものを干して今日で3日目です。日に日に皺(しわ)くちゃになっています。順調のようです。話は飛びますが、「梅干ばあさん」という言葉があります。これまで、曖昧(あいまい)だった言葉です。年老いてシワシワになった顔が今日のように「干した梅」の状態に似ていることのようでもありました。
また、酸(す)っぱい梅干を口にしたときの表情と関係づけてもいました。つい、口元を窄(すぼ)めるときにできるシワシワが、歯の無くなった老婆の口元に似ているからです。
しかし、これらは何れも違っているようです。これは、梅干が頭痛等の予防や治療に使われたことに関係しているようです。紙に梅干を付着させて「こめかみ」に貼るのだそうです。この状態の婦人を「梅干婆さん」とよんでいたようです。
そう言われてみると、昔の時代劇で見た記憶が微(かす)かに残っています。長屋の女将(おかみ)さんが、こめかみに黒っぽいものを貼っているシーンです。
おそらく、梅干を包むシソ(紫蘇)か、梅干の一部を着けた黒っぽい紙であったのでしょう。しかし、今の時代劇には登場しなくなっているようです。これもまた懐かしい文化のひとつに思えてきます。
今では想像もできない語源ですが、「梅干ばあさん」の言葉の残る民間療法です。長く続いてきた文化です。それなりの根拠がある筈(はず)です。
美味しくできた暁(あかつき)には試してもよさそうです。「梅干爺さん」になることも吝(やぶさ)かではない歳になっているのです。
2011/08/28(日)
15:33