
「工房事情」・・・一件落着
ステッキスタンドに手をかけています。メインの材料をケヤキ(欅)にしました。重いことで安定感がありそうだったのです。端材(はざい)の欠片(かけら)です。
昨日は、その一端に35mmほどの孔を穿(うが)ちました。今日はその磨きからです。グラインダーやサンダーを使います。派生する微粉末が厄介(やっかい)です。
匂(にお)いです。クラクラします。作業を終えても衣服に染み付いています。普段は100%青森ヒバの加工です。清涼な香りの中で暮らしていたことにあらためて感謝することになります。
素材の加工は簡単なようで難しいです。正解が見えないからです。理想と矛盾との闘いです。最も不得意なセンスが要求されます。結局は不本意を徹底的に味わいながら諦(あきら)めることで一件を落着させることになります。
しかし、それだけでは長い辺の左右の安定度が弱いようです。脚をつけることにしました。エンジュにしました。この結合には、両者を若干欠き、組み合わせる方法にしました。誤差0.2mmほどの精度が要求される加工です。
今回もテーブルソーに活躍してもらいました。ルーターやトリマーのデリケートな刃は固い木に使いたくないところです。テーブルソーはこれまで数回経験しています。安全圏のようでした。この加工中にもケヤキの微粉末は飛散します。膨大な量です。
そして塗装です。ケヤキには漆が似合います。エンジュにも試してみたいところでした。即、「拭き漆」です。午前中に塗ったものは夕刻に乾燥し始めています。1回目は木の吸い込む量が多いことからのようです。夕刻、「漆風呂」から出して組み立ててみます。自己評価では少し複雑なものがあります。その是非を判断できないのです。気になるのはエンジュとケヤキの漆塗りです。立派過ぎるようなのです。
世の中に存在していない類(たぐい)のスタンドのようなのです。しかし、主人公の「杖(つえ)」自体もエンジュです。何とか妥協の範囲であるのかも知れません。明朝、評価し直すつもりでいます。不満足であれば、手直しはいくらでも可能なのです。
「裏山事情」・・・ガンジャ
午後、友人のT氏がお出でになります。『イカリソウ(碇草)を採って来よう。』、ということで、即、裏山に入ります。薬湯に使うものです。道路端に生えています。
メインはイカリソウですが、さまざまと目に付きます。ミズ(ウワバミソウ)、山蕗(やまぶき)も収穫します。収穫し易いのはミズです。しかし、1回の量をほんの少しにします。食べたくなったら裏山に行くだけで、いつでも収穫できるからです。
やや手間のかかるのがフキです。実は、フキのどの部分を採るかです。根元から3本の茎(くき)が出ています。立派、やや立派、貧弱の3本です。中央が最も立派です。これはモタモタして美味しくないようです。次に立派な脇を採ります。「ワキブキ」といわれているものです。
フキの葉はどこにでも見えます。しかし、この「ワキブキ」の立派なものは意外に少ないのです。八百屋のS氏は深山に入って、ぶっ太い(ぶっとい)ものばかり収穫してきます。見事な世界です。
帰路、あちらこちらに咲いている花に目がいきます。T氏が『あれがガンジャです。』、と解説してくれます。初めて聞く名前です。実は、それが「卯の花」でした。別名が「空木(うつぎ)」です。実は、この日記で、佐々木信綱の「夏は来ぬ」にふれています。歌詞は5番まであるようです。いずれも初夏の自然や風物詩をとりあげています。その中で2回出ている言葉があります。「水鶏(クイナ)」、「さなえ(早苗)とタマナエ(玉苗)」、そして「卯の花」です。
この中で、「水鶏(クイナ)」と「さなえ(早苗)とタマナエ(玉苗)」は理解できます。「水鶏(クイナ)」はニワトリに似た、見方によると不恰好な鳥です。
数年前、我が家の狭庭(せにわ)の蹲(つくばい)から水を飲んでいたのを見ました。「さなえ(早苗)とタマナエ(玉苗)は、同じイネ(稲)の苗です。
これまで解らなかったのは「卯の花」でした。当地ではガンジャと表現しているそうです。佐々木信綱が初夏の代名詞として1番と5番に登場させているほどです。
しかし、疑問もあります。「夏は来ぬ」の1番は『卯の花の匂う垣根にホトトギス早も来啼きて・・・』です。それを思い出して香りを聞いてみます。殆ど無臭です。またまた理解に苦しむことになります。
それらはとも角、「夏は来ぬ」の「ぬ」は過去や完了を表しているようです。文法的には「夏は既に来ている」、となります。今が初夏のようです。
夜になって漸く降り出しました。畑には待望の恵みです。自然の雨は水道とは比較できない能力を持っています。歓迎すること頻り(しきり)です。
2011/05/29(日)
19:28