青空を見せる明るい日です。しかし、気温は低く、凍った氷を融かすだけのエネルギーにまでは至りませんでした。とはいうものの、穏やかな年の瀬です。

昨日、メダカを室内に入れました。実は、ひとつの蹲(つくばい)は、既に、殆ど氷の塊(かたまり)状態でした。手当てが遅きに失したことを反省しながらも、氷をそっと取り出してバケツに入れておきました。

朝見ると半分ほどが融けています。その融けた水の中に大きいメダカがスイスイと泳いでいます。近づくとピクッと反応します。驚きです。

聞くところでは、田んぼに住むメダカは、冬期間はドロの中に潜(もぐ)っているとのことです。しかし、ドロとはいうものの、奥州最北端の厳しい気候です。数10cmの深さにガチンガチンに凍ります。それが春になっては泳ぎだすのです。

昔聞いたことがあります。マイナス200℃ほどの液体窒素に生きた金魚を放すと瞬間的に膠着(こうちゃく)状態になります。それを床に落とすと粉々に砕け散ります。しかし、凍った金魚を水に戻すと再び泳ぎだすそうです。


庭を窺(うかが)うと、キノコの姿が見えます。シイタケとエノキダケです。シイタケは大小さまざまです。中には直径14~5cmで肉厚なものもあります。

当然?ガチガチに凍っています。細かいエノキダケもそうです。これらは暖かさと出会うと、また成長を続けるのです。メダカや金魚同様、よく解らない世界です。


午前中、K餅店から「お供え」と「伸餅(のしもち)」が届きました。やはり年の瀬です。作りたてでまだ暖かいです。伸餅のままでは困ります。まず、大き目の俎板(まないた)に片栗粉(かたくりこ)を塗(まぶ)します。そしてカットです。

しかし、刃をあてる前に大きさの設定です。子供の頃に見た記憶では2通りの方法があったようです。母は定規(じょうぎ)を使っていたようです。そして、父は伸餅自体を折る方法でした。折り目に直線が現れます。そのラインを目安にします。

最近の我が家では定規を使うことが億劫(おっくう)になっています。割り算もそうですが、目盛りを読み取れないのです。当然、折り目を利用しています。

一見、原始的に見えるものの、ある意味では最も理に適っているのです。あるいは、まだ柔らかい時点のカットだけに許される方法なのかも知れません。


「看板」の生地づくりに時間をかけています。まだまだ不満足です。しかし、少しでも目処(めど)がつくと、途端に次に進みたくなるのが人情です。次に当面する課題は文字です。

今は様々なフォントがPC(コンピューター)に入っています。当初、その中の隷書(れいしょ)か何かを候補にしていました。しかし、どうしても面白くなさそうです。形はまあまあですが、あまりにも教科書的なのが難点です。


結局、自筆を採用することにしました。厚顔をも省みないで、です。久しぶりに使う筆です。

しかし、上手(じょうず)下手(へた)は兎も角、文字は昔のままです。不思議なものです。

話しは飛びますが、文字を書くときにはいつも、ルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』を思い出します。トム(アラン・ドロン)がフィリップ(モーリス・ロネ)のサインを真似(まね)るシーンです。一旦身に付いた筆跡からの脱出は難しいのです。

実際の文字には漆(うるし)を使います。しかし、まず、半紙に墨(すみ)で書きます。それをコピーします。半紙と青森ヒバの間に複写紙を挟んで上からなぞるだけです。昔から伝えられている方法です。

コピーが済んでから一晩は吟味(ぎんみ)の時間を確保したいところです。客観性を取り戻すためです。この段階での修正は簡単です。

しかし、彫刻のためのトリマーをあてた後では、全体を削りなおす羽目になります。ま、それであっても大したことは無いのですが・・・。

明日は大晦日(おおみそか)です。師走(しわす)どおり、我が工房でもフル回転になりそうです。実は、正月に外出します。その間の、毎日納品している作品の作り置きが必要です。ま、何とかなりそうです。

2010/12/30(木) 18:36