ほんの少しチラついたようですが、小休止している将軍様です。昼前、外に出た頃は眩(まぶ)し過ぎる陽光です。フロントのブラインドを使わざるを得ませんでした。車道の雪(氷)は融けていますが、気温は氷点下です。やはり外は寒いです。


日課と並行して、今日から看板に手を掛けました。しばらくは木地(きじ)づくりが続きます。今回の看板には、単にカットしてカンナ(鉋)をかけただけの材は使いたくないところです。

実は、Y製材所には、無節でアマ(木の柔らかい部分、腐り等)の無い、素直な目の、所謂(いわゆる)ヤクモノもズラリと揃(そろ)っています。しかし、余りにも無欠過ぎるところが看板には難点なのです。

今回も、敢(あ)えて、多少のアマと大きい節を含んだ青森ヒバを選びました。そのアマの朽ちた部分は削除の必要があります。この鍛(きた)えが、今回の作品づくりのほとんどを占めることになります。


最初に使うツールはノミ(鑿)とカナヅチ(金槌)です。使うのは久しぶりです。今日は不十分の状態で終えました。実は、この作業には、どうしても遠慮が伴います。

それが手加減につながります。更にそのことが、チマチマとした作品を導きます。

しかし、大胆な刃の使い方にはそれなりの強い信念が必要です。それは、作者自身の感性をどれだけ自分で信頼しているかにも関係しているようです。

大雑把(おおざっぱ)にノミを入れた後はディスクグラインダーに頼ります。これまでの経験では、ノミもそうですが、グラインダーで描かれたものにはどうしても野暮ったさが伴う傾向があります。

おそらく、一般的で常識的?な、また、少しでも安全圏内の作品をイメージするからのようです。これは、自身に対する不信感も手伝っていそうですが、作品を見る側の視線を意識しているからのようでもあります。

結果的には自分の感性を抑えた作品になってしまいます。丁度、絵や彫刻の世界に似ています。話は飛びますが、半世紀も前から「円空仏」を見てきました。その度毎(たびごと)に自信を失っている有様です。

単に、スパッ、ザグッと刃をあてているだけに見えます。しかし、そこには洗練された大らかさが表現されています。いつも、示現流の、迷いの無い一太刀を連想します。


その潔(いさぎよ)さは簡単に真似のできる世界では無いものです。以前、熟達の仏師(仏像を彫る工匠)の話を聞いたことがあります。

その中に、『何処にノミをあてるかは、木自身が教えてくれます』、がありました。因みに、この「円空仏を彫る」会が発足したそうです。素晴らしいことです。現在の会員は20名弱のようです。

全体のデザインの決定は、一旦アマを削除した後です。もう少しの間は、この、300年以上も経た青森ヒバと会話することができそうです。

グラインダーには膨大な量の微粉末の飛散が伴います。折角掃除を続けている工房です。庭の四阿(あずまや)に作業場を移しました。

雪はチラついていますが、気兼ねなく作業できるのが嬉しいです。氷点下の庭での彫刻も、また楽しからずや、です。

2010/12/27(月) 18:36